城下町としての小田原

城下町としての小田原

じょうかまちとしてのおだわら

小田原は、室町時代には大森氏、戦国時代は東国戦国大名の雄北条氏の本城下として栄えた。江戸時代になると、小田原城は、大久保氏、稲葉氏、一時的には阿部氏など有力な譜代大名の居城となった。小田原が、箱根山を控えた関東の玄関口にあたり、江戸防衛の重要な拠点であるという認識が幕府にあったからであろう。

城下町としての小田原に関しては5点(内1点は再掲)の浮世絵作品をご覧いただけます。

東海道五十三次・小田原・酒匂川(保永堂)大錦横絵(初摺)

大錦横絵(初摺)

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歌川広重
東海道五十三次・小田原・酒匂川(保永堂)
大錦横絵(初摺)
天保前期(1830〜36)

大錦横絵(初摺)左上の部分
大錦横絵(初摺) 中央部分
大錦横絵(初摺)右上の部分
大錦横絵(初摺)右上の部分

小田原宿(美人東海道)

大錦竪絵

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UK05-002-059
渓斉英泉(けいさいえいせん)
小田原宿(美人東海道)
大錦竪絵 天保前期(1830〜36)

大錦竪絵の中央(部分)
大錦竪絵の左側(部分)
大錦竪絵の右下(部分)
 

東海道五十三次之内 小田原宿

大錦三枚続

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UK05-003-060
三代豊国
東海道五十三次之内 小田原宿
大錦三枚続 弘化4年〜嘉永5年(1847〜52)

大錦横絵の左側(部分)
大錦横絵の中央(部分)
大錦横絵の右側(部分)
大錦横絵(部分)

東海道五十三次

小判横絵

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UK05-004-064
葛飾北斎
東海道五十三次
小判横絵 文化年間(1804〜17)

小判横絵の左側(部分)
小判横絵の中央(部分)
小判横絵の左(部分)
 

末広五十三次 小田原

大錦竪絵

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UK05-005-065
月岡芳年
末広五十三次 小田原
大錦竪絵 慶応3年(1867)

大錦竪絵の右(部分)

遠景に小田原城の天守閣が見える。

大錦竪絵の中央(部分)

白い旗の後ろに見える特徴的な屋根の形は、東海道沿いに現在も見ることのできる外郎家の建物であろう。

大錦竪絵の下(部分)
 
 
 

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