最終更新日:2012年03月13日
北条氏は、豊臣秀吉との合戦に備え、天正18年(1590)までに小田原城とその城下を囲う周囲約9kmにも及ぶ大規模な空堀と土塁を築きました。散策路として整備され堀底を散策できる「小峯御鐘ノ台大堀切東堀」や「早川口遺構」、「蓮上院土塁」など、現在も各所に総構の名残を示す堀や土塁の痕跡が残ります。
【国指定史跡】
小峯御鐘ノ台大堀切(こみねおかねのだいおおほりきり)は、本丸へと続く八幡山丘陵の尾根を分断して構築されたものです。
この遺構は、慰霊塔側にある東堀、現在は道路になっている中堀、西側にある西堀の三本の空堀で構成されています。
当時の様子が最も良く残っている東堀は幅が約20 ~ 30m、深さは土塁の頂上から約12m あり、堀の法面は50 度という急な勾配で、空堀としては全国的にも最大規模のものといえます。
住所 | 神奈川県小田原市城山3-30 |
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【国指定史跡】
早川口遺構は、二重外張と呼ばれる土塁と堀を二重に配した構造となっていることから、この付近に出入口である虎口があったと考えられています。
この遺構は、小田原城総構の南西に位置し、低地部で見ることのできる数少ない土塁跡のひとつです。
住所 | 神奈川県小田原市南町4-4 |
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【国指定史跡】
蓮上院土塁は、早川口遺構とともに小田原城総構の中でも低地部にある遺跡として、貴重なものです。
土塁の外側には渋取川を配し堀としていました。
昭和20 年 (1945)の小田原空襲で投下された爆弾のひとつが着弾し、土塁が大きく損壊しました。
そのため、戦国時代の史跡に昭和時代の戦争の傷跡が残る大変貴重な史跡といえます。
住所 | 神奈川県小田原市浜町2-1-51 |
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電話番号:0465-33-1521