最終更新日:2013年08月01日
江戸時代、小田原城の初代城主となった大久保忠世は、三河国の大久保忠員の長男として天文元年(1532)に生まれました。
忠世は、天正3年(1575)の長篠の戦いで、弟忠佐とともに活躍し、徳川家康に遠州二俣城主に命じられ、その後、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めでは家康に従い参戦し、戦後は4万5千石で小田原城主となりました。
忠世の子、2代忠隣の時代に大久保家は改易になりますが、その後大名に復活し、5代忠朝のとき11万3千石で小田原藩主に返り咲きました。11代忠真は、大阪城代、京都所司代、老中など幕府要職を歴任し、藩政においては二宮尊徳を始め多くの人材を登用し、忠臣孝子を顕彰するなど、大久保家中興の名君として知られています。以降、大久保家は15代忠良の時代に行われた廃藩置県まで小田原藩主を務めています。
市内の城山にある大久保神社では、忠世と忠真を祀っていますが、明治33年(1900)までは、現在の天守閣がある天守台にありました。
住所 | 神奈川県小田原市城山3-27-7 |
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電話番号:0465-33-1521