市制記念日 【12月20日】
小田原市の誕生
小田原地方については、明治4年、廃藩置県により小田原県となり、さらに同年、足柄県となりました。明治9年には足柄県が廃され神奈川県の所管となり県庁の支庁が設けられました。明治22年には町村制の施行により小田原地方は1町14村となりました。この年、東海道本線が全線開通しましたが、箱根山を避けて国府津から御殿場へ抜けたことにより、宿場町としての小田原は一時衰微。そこで風光明媚な環境を生かし、保養地・観光地として活路を見出すこととなりました。
明治後期から大正初期にかけて、国府津−箱根湯本間に馬車鉄道、小田原−熱海間に人車鉄道、軽便鉄道、大正9年に東海道本線の支線として国府津−熱海間に熱海線が開通し、発展の兆しが見えましたが、大正12年の関東大震災で壊滅的な打撃を受けてしまいました。
昭和初期には震災復興がなり、昭和9年になると丹那トンネルが開通し、熱海線が東海道本線となり、再び交通の要地として脚光を浴びることとなりました。
その後、市制施行の気運が高まり、昭和15年(1940年)12月20日に小田原町・足柄町・大窪村・早川村・酒匂村の一部が合併し、面積57.54平方キロメートル、人口54,699人、世帯数10,749世帯で市制を施行、小田原市が誕生しました。
昭和23年には下府中村、昭和25年に桜井村を合併。昭和29年には町村合併促進法に基づいて、豊川村、酒匂町・国府津町・上府中村・下曽我村・片浦村を合併、さらに昭和31年に曽我村の一部、昭和46年に橘町を合併して市勢を拡大しました。
平成12年11月には、地方自治法の改正に伴い創設された特例市へと移行しました(現在は特例市制度は廃止されています)。
現在、小田原市は、神奈川県西部の中核を担う都市として発展を続けています。
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