小田原の町名・地名(1)

城下町・宿場町小田原のあらまし

 江戸時代の小田原城を取り囲む武家地や町人地などいわゆる「城下町」は、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに備えて、小田原北条氏が構築し た土塁や堀によってできた総延長9キロメートルといわれる「総構(そうがまえ)」の内側が その範囲で、面積は約348ヘクタールに及んでいます。江戸時代には、この総構の内側を「小田原府内」といい、総構を「府内構(ふないがまえ)」と呼びま した。こ の府内には、武家地や町人地のほかに谷津村が含まれていました。

町人地

 町人地は、「通り町(とおりちょう)」といわれた9町と「脇町(わきちょう)」 と呼ばれた10町、合わせて19町で構成されていました。また、この町人町には表 通りから横に入った通り筋にある「横町」や町を小分けした「小名(こな)」があり ました。

東海道筋の通り町

 東海道筋の次の9町を「通り町」といい、高梨町、本町、中宿町、欄干橋町などに は「旅籠(はたご)」が並び、宿場町「小田原」のたたずまいが見られました。
新宿町(しんしくちょう)、万町(よろっちょう)、高梨町(たかなしちょう)、宮前町(みやのまえちょう)、本町(ほんちょう)、中宿町(なかじくちょう)、欄干橋町(らんかんばしちょう)、筋違橋町(すじかいばしちょう)、山角町(やまかくちょう)

東海道筋の脇町

 東海道筋の南側の海沿いにあった次の4町を「脇町」といい、これらの町には魚商 、廻船業、漁業関係者が多く住んでいました。
古新宿町(こしんしくちょう)、千度小路(せんどこうじ)、代官町(だいかんちょう)、茶畑町(ちゃばたけちょう)

東海道筋の横町及び小名

 東海道筋の通り町や脇町には、次の横町・小名がありました。
十王町(じゅうおうちょう)・抹香町(まっこうちょう)、鍋町(なべちょう)、宮小路(みやこうじ)、新道(しんみち)、野沢横町(のざわよこちょう)、市場横町(いちばよこちょう)、雁木(町)(がんげちょう)、南横町(みなみよこちょう)、安斎町(あんさいちょう)

甲州道筋の脇町

 東海道筋から北上する甲州道沿いにあった次の6町を「脇町」といい、これらの町は、商人町の濃いところでした。
青物町(あおものちょう)、一丁田町(いっちょうだちょう)、台宿町(だいじくちょう)、大工町(だいくちょう)、須藤町(すとうちょう)、竹花町(たけのはなちょう)

甲州道筋の横町及び小名

 甲州道筋の脇町には、次の横町・小名がありました。
山上横町(やまがみよこちょう)、誓願町(せいがんちょう)、錦織町(にしこりちょう)

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