宮城県多賀城市の報告
市役所に物資を搬送
菊地市長と面会
(1)津波について
- これまで多賀城市では大きな津波の経験がない。震災当日は、港から川沿いに一気に津波が市内に押し寄せ、市内沿岸部はほとんどが飲み込まれた。結果として多くの市民が犠牲になってしまった。
- 発災時は市役所の開庁時間だったため、多くの職員は市役所にいた。その中には自らの家が倒壊した者も多いが、それでも彼ら職員が中心となり、避難所における被災者支援を担っている。
(2)支援物資について
- 震災後、多くの自治体や企業などが救援物資等の支援を申し出てくれた。大変ありがたく思っている。
- 最初の3日間くらいは、食糧が不足し、少しのおにぎりを分け合うような状態であった。その後、各地から救援物資などが届き、被災者らも食事を取れるようになった。
- 日が経つにつれ、必要とする物資は変化してきており、毛布や洋服などは充足している。今は、水や食糧、使い捨ての日常品のほか、倒壊した瓦礫などを整理するのに、ほうきやスコップ、洗剤といった清掃用具が欲しい。
- ただし、物資の仕分けをする人材が不足しており、個人の方が持ってきてくれる物資はさばききれない。よって、大変申し訳ないが、こちらからお願いした自治体や団体の仕分け済み物資や、企業などのまとまった品物以外は受付をしていない。今後は、国や県が物資を一括して集め、配送してくれるようなので、期待をしている。
(3)ボランティア、企業等の支援について
- 今週からは、市内の宅配業者が自らの会社をハブ(基点)にして、宅配車で各避難所に物資を届けてくれている。また市からのお知らせなどの広報誌を、新聞業者が織り込みサービスをしてくれるようになった。
これにより、緊急にお知らせする情報が市民の皆さんに行き渡るようになり助かっている - 市役所では、災害に関する窓口応対をボランティアの皆さんが担ってくれている。ただし、各避難所にボランティアの方を派遣するための体制作りまで手が回らない。よって、避難所では相変わらず職員頼みの状態が続いている。
多賀城市内を巡回
地震そのものの被害はさほど大きくなかった。かわらが落ちた、ガラスが割れたなどはあるが、建物そのものはほぼ無事。ただし、水道や電気は一部の地域で開通したばかり。
信号がない片側3車線国道の交差点では、直進するのもままならない。また、津波の被害にあった沿岸地域は壊滅的な被害を受けている。
工場、店舗、住宅などは倒壊し、至る所に横転した車が放置されている。その数は5,000〜6,000台。タンクローリーが横転し、ガスタンクは倒れ、見るも無残な風景が続いている
途中、多賀城市に隣接している仙台市若林区を巡回。ここでは津波の水が引かず、あたり一面が水没したまま。自衛隊、警察、消防による検索活動が続いていた。
避難所を訪問
多賀城市内の広域避難所は12箇所。そのうち、市役所に近く、規模も大きい多賀城中学校の避難所を訪問した。被害にあったものの自宅が残った方は、昼間は自宅の片付けを行い、夜は避難所に戻って宿泊をしている。
よって、この避難所では昼間は半数以下の方しかおらず、夜になると体育館がほぼ満員になる。毛布を何重にも重ねてベッド代わりに寝る人、自宅から布団や枕を持ち込んでいる人とさまざま。皆プライバシーを守るために、寝床をパイプ椅子で囲み、ダンボールで囲いをしている。夜はストーブで暖を取る。
多賀城市長の話にもあったが、スタッフはほとんどが職員。交代で休みながら支援活動を行っている。今後の見通しに目処がつかないこともあり、そろそろ職員の疲労も蓄積度を増している。
市役所にボランティアの申し出はあるが、各避難所への適正配置をする余裕が無い。「できれば派遣会社などに委託し、役割分担や人員配置も含め、まとまった人数を配置してくれるとありがたい」と話していた。