多彩な歴史文化資産を未来へ 史跡の整備を進めています
戦国時代には小田原北条氏の拠点として、江戸時代には幕府の西の要所として、歴史上、重要な位置を占めてきた小田原。市内には、小田原城跡、石垣山、江戸城石垣石丁場跡(早川石丁場群関白沢支群)の3つの国指定史跡があります。史跡の価値を皆さんに伝えるため、順次整備を進めています。
1.史跡小田原城跡 御用米曲輪
どんな史跡なの?
整備が完了した北東土塁
小田原城天守閣の北側にあり、江戸時代の絵図によれば、幕府の米蔵が立ち並んでいました。平成22~27年に行った発掘調査では、その米蔵跡が発見された他、小田原北条氏の庭園跡を構成する切石敷遺構などが発見されています。
どんな整備をしていくの?
戦国時代の切石敷遺構
令和3年度に曲輪外周の土塁の復元を行い、土塁上に存在した蔵跡の遺構表示を完成させました。
令和4年度からは、有識者による専門部会を設置し、戦国期庭園跡の整備方法等について検討を進めています。
2.史跡石垣山
井戸曲輪の保全対策工事
「石垣山一夜城」の名でも知られ、戦国時代の終焉を告げる「小田原合戦」で、豊臣秀吉の本営となった石垣山。NHKの大河ドラマにもたびたび登場します。豊臣秀吉は数多くの城を築きましたが、築城当時の野面積み(のづらづみ)の石垣が城の全域で見られるのは、佐賀県唐津市にある肥前名護屋城と石垣山のみで、大変貴重な城跡です。
どんな整備をしていくの?
天正18(1590)年の「小田原合戦」から430年が過ぎました。積まれた石垣は、時間の経過とともに緩みや崩落が見られます。そのため、来訪者の安全確保と、石垣の保存を目的とした整備工事を進めています。