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2026年05月08日(金)

舞台に掲げしその文字は。寄席と「扁額」のあれこれ

 市内かまぼこ通り、老舗籠清本店正面に掲げられた立派な書。これ、ただの看板ではない。小田原人なら知る人も多い、近代三茶人の一人、益田孝、鈍翁の手になるもの。名物を買い求めようとやってくる人々に、これぞ本物、味わってください、と正にお墨付き。これが好物と気に入った粋なお人と気に入られた商い人が面子を立てて並び立つ。名のある人に書を求め、与える者が寄せる信頼の、その厚きが故の文字も偉丈夫。探せば他にもあるに違いない、歴史ある小田原ならではの似つかわしき縁。通るたび見上げて眺めて感じ入るという次第。
 さて、芸界に目を転ずれば、芸人がしのぎを削る寄席舞台。その客が見上げる舞台はいかがなものか。
 花のお江戸の浅草では、「舞鳳飛龍」の扁額が浅草寺横、浪曲定席木馬亭の舞台に大きくかかる。浪曲ならもう一つ、若手も育つ日本浪曲協会の広間には、孫文が記した「桃中軒雲右衛門君」の額がある。中国辛亥革命の立役者、あの孫文だ。贔屓の浪花節語りに送ったのだそうだ。
 西へ行こう。大阪を訪ねると「楽」の文字が待っている。上方落語の総本山、天満天神繁盛亭には、桂米朝が書き残した、その文字がある。通天閣のほど近く、弟子の桂ざこばが作った動楽亭には、「楽」の文字が八つ賑やかに集う。あの笑顔と人柄が偲ばれる米朝、誰もが知る名人だ。落語考証や芸談、随筆も多く残した文人。人間国宝でもあった。
 中京名古屋では、観音様のお膝元、大須演芸場には「千客万来」。これはわかりやすい。大須観音のご住職が書いたもの。
 また、東へ戻る。桂歌丸が開設に労を取り、二代目館長も務めた横浜にぎわい座には「笑門来福」、地元の書家、堀野哲仙の書。
 再び、お江戸は皇居前、国立演芸場には、入江相政の「喜色是人生」。激動の時代を生きた昭和の侍従長が筆を執った。
 さぁ、いよいよ、東都で皆さんおなじみの演芸場だぁ。上野の鈴本演芸場には無いのか見たことがない。でも、鳥居派の歌舞伎絵看板師の書いた衝立がある。池袋演芸場はどうか。見たことがない。浅草演芸ホールには「心酔」。芸に心から酔うってことか。いいねえ。最後は新宿末廣亭。「和気満堂」。これを書いたのは、知る人ぞ知る。中山呑海。活動写真の時代から活躍した映画監督、脚本家、舞台演出までやった当時の芸能界のマルチプレイヤーだ。「満堂和気生嘉祥」。部屋に満ちた和やかな雰囲気が、めでたい兆しをあらわすってな意味。一日を笑って過ごして、元気になろうっていう寄席にはぴったりだ。
 さぁ、やっと来ました、本題だ。相州小田原、諸芸往来東海道のその中で、宿場町の横綱を張ったこの地に、すっくと現れた小田原三の丸ホールの演芸の事始めは、「小田原柳家三三落語会」。そこで初お目見えの、スペシャルな寄席囲いのその中に、あったよ、あった、ありました。「萬國春風百花舞」。南宋の詩人、楊万里、誠齋先生の御本に、これ欧陽脩の文章の一部との指摘ありというが、原典はよくわからん。が、しかし、いいねえ、この文句。「すべての国に春風が吹いて百花が舞う」。悪疫流行、声を上げて笑うことも憚れる中、芸の力で人の心を弾ませようと、意気にかかって精進する芸人衆を見下ろす舞台のそこにあるのがふさわしい、見る者のこころも癒す、誠にもって安穏な、ほんにほんに素晴らしい、うれしくもありがたいと言葉を重ねて見上げる扁額だ。
 で、その書き手を見てみると、なんと三三師匠ではないか。名人柳家小三治の門弟のその中で、今や人気実力共に認められ、令和の落語界を背負っていく一人との呼び声も高い、小田原育ちの師匠だ。谷津公民館から始め、市民会館も小ホールから大ホールへと芸を磨いて精進重ねる師匠が、小田原の町衆に聴かせてくれる落語会。さぁ、これからは三の丸ホールだよと、期待も大きな特別のお誂えだ。十と二十と、三十年と師匠と共に年を重ねるその舞台、寄席囲いのその中にだよ、この扁額はぴったりだ。書もイケてるなんて、憎いね、三三師匠。楽しませてもらいましょうよ、皆の衆。ますますもって、小田原に春風が吹くように。
 
記:備堂能満(びんどうよしみつ)

2026/05/08 09:35 | 伝統芸能

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