小田原市本町に店を構える「だるま料理店」は、明治26年(1893)の創業である。今年は創立131年にあたる。初代の達磨仁三郎は金沢出身で、廣澤家の養子となった。旧姓が「達磨(たつま)」であったことから、達磨(だるま)大師の縁起にちなんで屋号を「だるま料理店」と登録したそうだ。廣澤家は、元は相模湾沿岸の漁場の有力な網元であった。獲った新鮮な魚を提供するために料理店を開いたそうだ。相模湾沿岸に五ツ浦、米神、前川などのよい漁場があり、それらの豊かな漁場を仕切っていたほどの大網元だった。小田原は明治中頃からブリの大漁に沸きはじめ、以降大正、昭和にかけて年間数万、十数万尾の豊漁となることも珍しくなく、ブリは浜まで押し寄せたそうだ(写真1)。大正時代に大敷網と呼ばれる大型の定置網が導入された(写真2)。昭和30年(1955)代まで相模湾の寒ブリは、全国的に有名であったと云う。小田原近海の定置網漁は現在でも行われている。当時の網元の廣澤家は、ブリ漁で大いに繁栄したのであった。
「だるま」は、相模湾で水揚げされた魚介を毎朝仕入れ、その天ぷらや寿司などを供する料理が評判である。創業から続く名物の天丼には、特注のごま油を使っている。ゴマの香りが天ぷらをより美味しくさせる。天つゆは甕(かめ)で継ぎ足し継ぎ足して変わらない味を守っている。つゆに酵素が生まれ、それがうま味になるそうだ。甕から柄杓で取り出し、濾して天つゆの元にすると云う。
器にも手を抜かない。湯呑から全ての器が保温力に優れている有田焼で、一つ一つ手作りである。気付かれるお客様はいるのでしょうか?と失礼な質問をすると、「いらっしゃいます」と答えられた。湯呑に描かれた線が隣の人と微妙に違うことに気付いて、質問されるそうだ。これまで、美空ひばりや相撲の関取、政治家たちなどの多くの有名人が店に足を運んできたそうだ。にもかかわらず、店内には一枚の色紙も飾られていない。当主は、「お客様はみな同じ」との心で接するのが当初からの店のモットーで、有名人だからと云ってお客様にサインや色紙を求めることはしないそうである。
時代は変わり、客層も様々である。取材を受けてくださった代表取締役社長は、「温故知新」を強調された。時代の変化があっても、100年の伝統を大切に守りながらも、新しい若い流れもまた受け入れていく。そういう店づくりの心得を、「温故知新」の言葉に込められたのだと感じた。
最後に、お忙しい中を快く取材に応じて下さった、だるまの社長に心より感謝申し上げます。