最終更新日:2022年09月07日
江戸時代の初期(寛永、寛文、万治の頃)小田原藩主であった稲葉一族の菩提寺です。開山は宇治万福寺から招かれた鉄牛和尚です。
寛永9年(1632)、将軍家光は、自らの政権をより強固なものとするため、側近であった幕府老中職の稲葉丹後守正勝を関東支配の鍵となる小田原城主としました。稲葉正勝の母は、将軍家光の乳母をつとめた春日局です。
しかし、正勝は、2年後の寛永11年正月に38歳で急死してしまいました。家督を相続した正則は12歳という若さでした。本来であれば、お取りつぶしになりかねませんでしたが、正則が春日局の孫であったことから相続が許されました。
正則は、寛文9年(1669)、城下の山角町(南町)にあった菩提寺を入生田に移転拡大し、山号を長興山として、父母と春日局の霊を弔いました。往時は七堂伽藍の整った大寺院で、広大な庭園をもち、その美しさは旅人の足をとどめずにはいられなかったと伝えられています。
しかし、幕末の火災によって建物が焼失し、現在では子院の清雲院が紹太寺の寺号を継いでいます。山内は360段の石段を登り、数十町歩におよぶうっそうと生い茂った樹々、清流がしぶきをあげて流れる様や蜜柑畑の中に残された当時庭石として据えられていたと思われる苔むした巨石などが、かつての紹太寺の名残を今に伝えています。
箱根登山線入生田駅から徒歩10分
(しだれ桜までは入生田駅から徒歩20分)
長興山紹太寺 TEL:0465-22-7760
小田原市文化財課 TEL:0465-33-1717
小田原市観光課 TEL:0465-33-1521
長興山紹太寺には
有名な「しだれ桜」があります。
「花の名所」ページで紹介しています。
電話番号:0465-33-1717