歴史資料・長興山紹太寺の境内絵図
長興山紹太寺の境内絵図 1幅 (市指定 昭和63年11月1日)
【所有】 入生田303 紹太寺
【所在】 入生田303 紹太寺
【形状】 紙本着色4色 縦3.35m 横1.80m 仮表装
【概説】
小田原城主稲葉正則は、寛文9年(1669)城下の山角町(南町)にあった菩提寺を、入生田村に移し長興山紹太寺を建立しました。
この境内絵図は、正則が延宝7年(1679)に紹太寺の寺地の伽藍配置や境界などについて、後々の証のために作成したものです。
絵図では、広大な寺地と仏殿、禅堂、斎堂、開山堂、祠堂、経蔵、書院、鐘楼など七堂伽藍の整った一大寺院であったことがしのばれます。
しかし、紹太寺は弘化4年(1847)の火災で、経蔵、鐘楼、楼門、総門のみを残して灰塵に帰し、さらに安政年間(1854〜1859)に再度の火災で総門のみを残し、その後再建されることなく今日にいたっています。
現在の紹太寺は、この折に難を逃れた子院の清雲院です。