歴史資料・長興山開発供養塔 1基
(ちょうこうざんかいはつくようとう)
部位の名称 | 高さ | 幅 |
---|---|---|
露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち) | 17.0cm | 23.0cm |
笠 | 34.0cm | 74.0cm |
塔身 | 122.0cm | 40.5cm |
基礎 | 33.0cm | 78.0cm |
概説
本供養塔は、紹太寺(しょうたいじ)の建立に参加した人々を供養する塔です。
方柱状の塔身に笠と露盤・伏鉢・宝珠を乗せる笠塔婆型で、宝珠部分を欠いています。
露盤の側面に唐草文様、塔身には銘文が刻まれています。
土木工事に従事した石工の、相州岩村(現真鶴町岩)の住人、朝倉清兵衛が建立したもので、造立年は記されていません。
銘文には、開山となった鉄牛和尚の父母を始めとする15名の関係者の法名、工事に参加した総奉行・下奉行ら8名の役人、工事に労役した43名の僧侶ら、関係者の人名が記されています。
塔の基礎は、上部を蓮弁が刻まれない繰形座(くりがたざ)とし、側面は中央に三鱗文、その左右に縦縞の格子を刻みます。
なおこの基礎は、以前入生田にあった近衛文麿(1891~1945)の別荘内のものを補修に再利用したとの地元古老の伝承があります。
長興山紹太寺は、小田原藩主稲葉正則(いなばまさのり)が父母の追福のために建立し、寛文9年(1669)に旧入生田村に移されましたが、本供養塔は長興山開発が大工事だったことを伝えるものです。
方柱状の塔身に笠と露盤・伏鉢・宝珠を乗せる笠塔婆型で、宝珠部分を欠いています。
露盤の側面に唐草文様、塔身には銘文が刻まれています。
土木工事に従事した石工の、相州岩村(現真鶴町岩)の住人、朝倉清兵衛が建立したもので、造立年は記されていません。
銘文には、開山となった鉄牛和尚の父母を始めとする15名の関係者の法名、工事に参加した総奉行・下奉行ら8名の役人、工事に労役した43名の僧侶ら、関係者の人名が記されています。
塔の基礎は、上部を蓮弁が刻まれない繰形座(くりがたざ)とし、側面は中央に三鱗文、その左右に縦縞の格子を刻みます。
なおこの基礎は、以前入生田にあった近衛文麿(1891~1945)の別荘内のものを補修に再利用したとの地元古老の伝承があります。
長興山紹太寺は、小田原藩主稲葉正則(いなばまさのり)が父母の追福のために建立し、寛文9年(1669)に旧入生田村に移されましたが、本供養塔は長興山開発が大工事だったことを伝えるものです。
アクセス
鉄道 | 箱根登山線入生田駅から徒歩約6分 |
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地図
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課
電話番号:0465-33-1717