歴史資料・鉄牛和尚の血書
鉄牛和尚の血書 1幅 (市指定 昭和63年11月1日)
【所有】 入生田303 紹太寺
【所在】 入生田303 紹太寺
【形状】 紙本淡彩 縦118.2cm 横43.5cm
この血書は、上部に黄檗の三筆といわれた木庵の賛があり、下部に鉄牛和尚の血書、中央に釈迦如来像が血書で書かれています。
釈迦如来像の彩色は、螺髪・僧祗支(袈裟の下に着る覆肩衣)・眉・口唇に清墨、葉脈に金泥が使われ、着衣の一部に金泥の文様を入れています。
血書は、寛文3年(1663)に制作されたものです。
【概説】
鉄牛和尚(1628〜1700)は、長興山紹太寺の開山(寺を開いた僧)で、初め臨済宗の京都大徳寺の大龍和尚に参禅し、後に黄檗宗の本山万福寺(京都宇治市)の隠元禅師に師事しました。
寛文9年(1669)長興山の開発のため、稲葉正則に招かれ小田原に来て、紹太寺の開山となりました。
この血書は、鉄牛和尚が36歳の時に亡き母の17回忌にあたって、父母やけん族(親族・従者)、一切衆生(生きとし生けるもの)のために斎戒(一定の規律を守って、心身のけがれから去る修行)をし、十指を刺して血を取り、大乗経10余巻と釈迦如来像を制作したことを記しています。
血書の中に描かれた釈迦如来像は、黄檗系の形に近いものですが、素人的描法です。しかし、鉄牛和尚が自らの血で描いたという、特別の由緒から貴重な歴史史料といえます。