第14章 夫人の死
正式に日系人全部の帰還命令が発せられたのは12月のことであるが、実際には戦争終結と同時に転住所生活の解除が行われ、定五郎はいち早くロスアンゼルスに帰ることができた。
この解除には幾多の迂余曲折があり、種々の事情があったらしいが、実現の一大原動力となったものは、二世をもって編成された442部隊が、一身をアメリカ国家に捧げ、ヨーロッパの戦線において偉大な戦功をたて、米国戦史上かってなき武勲と讃えられた、その功績によるものであると言われている。
定五郎の財産は完全に保管されていてそれぞれ引き継ぎを受けたが、戦時中、下宿していたアメリカ人は行先がないと言ってなかなか移転してくれない。こちらには敗戦国民という負目もあって、この解決には相当てこずった。しかし、店の方は予想以上にうまく行っていて、支配人は21室のアパートを買うだけの金を集めておいてくれたし、倉庫にしまっておいた商品もそのままに保管されていた。
定五郎は身体の中に新たな気力が突き上ってくるのを感じ、直ちに体勢をととのえると、従前通り共同貿易の業務を再開したのだった。
定五郎に限らず誰も彼も帰ってくるまでは、これからどうして生計を立てていくか、大きな不安を持っていた。ところが、帰還してみると、そこには戦前にも増して広い市場と多くの働き口があった。給料も予想外よく、そのため労働者は楽に生計を営むことができたし、事業を経営する者はいずれも好況の波に乗り、日本人街は急速に復興し、旧に倍する繁栄をとり戻していった。
共同貿易も倉庫の商品をたちまち売りつくすという盛況で、戦前をしのぐ繁栄振りを示したのだった。
「わたしなどはすべてに恵まれていたのです」と定五郎翁は言うのであるが、戦後のロスアンゼルスを舞台として活躍した人々は、主として二世と他地方よりの移住者で、その顔ぶれは戦前とはガラリと一変した。そういう中にあって定五郎が往時の面目を保持したばかりでなく、さらに一大飛躍をなしたことは、持ち前の不倒不屈の精神と商業経営の手腕とが群を抜いていたからであったと言うことができよう。
その年もあわただしく暮れて、新年を迎えると、帰還者は続々ロスアンゼルスヘつめかけてきて、新たに商売を始める者、就職口を探す者と活気に満ちた、それだけにまた忙しい正月を送らなければならなかった。定五郎は家族とひと晩ゆっくりすき焼でもやりたいと思っていたが、なかなかその暇が得られず、正月も押しつまった28日の夜、川瀬勝五郎を招待してすき焼会を催した。
その夜はみんな心楽しく、よく話し、よく食べた。ハナもゆっくり落ちついてさかんに鍋に手を伸ばした。
「ミート(肉)はお前の身体にはよくない。さわるといけないからあまり食べない方がいいよ」
二年ほど前からハナは高血圧の気味であった。始めのうちはさして気にもしなかったが、ある時血圧を計ってもらったら240あったので、びっくりして、それからは一週間に一度ずつ医者に診てもらい、薬もずっと続けているのである。定五郎はそれを心配して注意したのだが、ハナは、
「アラ、わたしはごぼうばかりいただいているんですよ」
「お気の毒ね。こんなおいしいお肉が食べられないなんて」
と智恵子が言うと
「肉のおだしは、このごぼうがみんな吸いとっているんですよ。この方がずっとおいしいわ」
ハナははしの先のごぼうを鍋の上で振って見せて、ひょいと口の中へ投り込んだ。
その動作が面白いと言ってみんな笑った。久し振りのすき焼、しかもまったくの水入らずの会であったから、時の経つのも忘れるほどの愉快な一夜となった。
が、これがなんと夫と妻、母と子の永遠の別れの会になろうとは、そこに居た誰の胸にも到底思い浮かばぬことであった。
午前四時頃、定五郎はふっと眼を覚ました。隣りの寝台でハナがひどく咳きこんでいた。
「どうした?」
声をかけたが、ハナは返事もできなかった。
定五郎は起きだして、ハナの背中をさすった。さすりながら
「智恵子、智恵子」
と呼んだ。
次の間に寝ていた智恵子がびっくりして起きてきて、水をのませると、いくらか落ちついてきたようである。
「お母さん、どう?」
背中をさすりながら智恵子がきくと、ハナはかすかにうなずいた。咳き込みがはげしかったので肩で息をしていた。
どうやらおさまってきたらしく、しばらくすると手洗いへ行きたいという。二人で抱くようにして行ってきて、寝台へ寝かせると、ハナは静かに限を閉じた。
定五郎と智恵子は寝台をはさんで腰かけ、その顔をジッと見守っていた。かすかな寝息が洩れてきた。ホッとして定五郎は目顔で「もう寝るように」と智恵子に言った。
智恵子が出て行くと、定五郎もそっと寝台に入った。窓の外はまだ暗く、しんと静まりかえっていたが、早くも明け方の気配が動き出しているようであった。定五郎はいつの間にか眠に入った。
どのくらい経ったろうか、何かショックに打たれたように定五郎はパッと眼覚めた。瞬間、ただならぬものを感じて、はね起きるとハナの傍に立った。
「ハナ、ハナ」
と呼んで肩に手をかけようとした定五郎は愕然として眼をみひらいた。ハナの息は止まっていたのだった! 手にはまだ温みがあったが、脈はすでになかった。
定五郎の叫び声を聞いてとび込んできた智恵子は、ハナの手をしっかり握って、ガックリ頭を垂れている定五郎を見出した。その頬をつたわって流れる涙が膝の上にポトリポトリと落ちていた。
医師の診断は心臓麻痺ということだった。
あのまま起きていてやればよかった。看ていてやればあるいはこんなことにはならなかったかも知れない。眠ってしまったのは不覚だった。すまないことをしたと思う。それにしても、人間の命とはなんとはかないものか。誰もがロにするこの言葉 ― つい数時間前のすき焼会の時のハナがいつにも増して明るく、楽しげであっただけに、この言葉の本当の意味が今の定五郎には全身で理解されるのである。
振りかえってみると、19才の若い身で遠くアメリカヘとついで来てから59才の今日までちょうど40年になる。サンピドロ街のみすぼらしい店で朝の4時から夜の11時まで働きづめに働いた時のこと、東海商会を東一街に移して業務を拡張した時代、さらに共同貿易の創立当時と、発展すればするだけ苦労もまた大きかった頃のことが、走馬灯のようにつぎつぎに浮びあがってくる。
いつでも、どんな時でも定五郎の傍にはハナが立っていた。その姿が今はかき消えてしまったのである。
定五郎は自分の心が空洞のようになっているのを感じた。
もう少し生きていてもらいたかった。子供たちも成長してどうやら生活を楽しむことができると思った矢先、太平洋戦争が起こって転住所へ収容された。それがようやく解除されて今度こそはと思ったのに・・・。
定五郎にとってハナの死はいくら悔んでも悔みきれないことだった。
ハナの葬儀は盛大にとり行われたが、定五郎はいつまでも寂涼の中に沈んでいた。
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