小田原城/常盤木門画家椎野聖氏の個展が、昨年に引き続きアオキ画廊で開催されました。今年5月に開催された、母校小田原高校の同期生(19期)の柴田雅章氏(陶芸家)内野克実氏(写真家)との3人展を含めるとほぼ1年の間に3回目の小田原における展覧会となります。
彼の高校の同期生の一人として、さまざまなお話を伺えましたので、彼の歴史とこの展覧会についてレポートさせていただきます。
椎野氏は、市内橘出身、私の知る限りでは高校の同期生で画業の道に進んだのは彼だけだと思います。高校では理科コースに在籍、少しでも美術に近い分野と考え、建築を志し、大学は建築科に進みましたが、やはり美術の道にとの思いで、2年で中退の決心をしたとのこと。ご両親の反対にあいましたが、すぐ上のお兄様だけは、自分でしたいことをしたらよいと認めてくれたそうです。このお兄様は、ブラマンクやホドラ―の絵を好み、桑沢デザイン研究所を出て広告会社を起こし、グラフィックデザイナーとしても活躍されたということで、彼に静かに影響を与えていた方でした。
“美学校”で彼は、中西夏之先生に学びました。中西先生は、仲間3人の頭文字を取ったハイレッドセンター(“ハイ”:高松次郎、“レッド”:赤瀬川源平、“センター”:中西夏之)の活動で知られ、“美学校”の設立にも奔走されました。そこで彼は中西先生の「美術のテクニックではなく、美術への心構えを自ら学び取って行く」という教えに感銘を受け、また、“絵を描くに当たっては、漠然と描くのではなくて、緊張感を持って描きなさい。1mの幅をジャンプするのに、地上では簡単だが、同じ1mのジャンプでも高層ビルの間の1mをジャンプするのでは全く異なる”という講話が印象に残っているそうです。
“美学校”を出てからは、インテリアの通信教育の会社に勤め、建築コンサルタントの会社のアルバイトなどで過ごしましたが、30代になり、画廊巡りをしながら独学で絵に専念し始めました。ご両親、特にお母様は心配し反対していましたが、実は母方のお祖父様は絵が大変好きであったと、お父様から聞かされるなど、お父様は黙認していたようです。
彼は動物を描くために自分で飼いたいという思いを実現すべく広々とした庭を持つアトリエを千葉の郊外に求めました。そこでは、毎日7時間程度アトリエで過ごされるとのことです。これまで描いてきた猫、孔雀、麒麟そして象などの動物の絵は、昨年のアオキ画廊での個展でも展示されました。今回は動物を描き続けていた彼が、3人展に出品した花や小田原城城門など、新たに描いたものも加えました。
お祖父様の絵心のDNAが、幼いころの流木で馬を構成してテレビに出たことなどに触発され、年月を経て徐々に高まり、中西先生から美術への心構えを教わり、確かなものとなったことが感じられます。どの絵にも彼の優しさが溢れ、どこかに昔懐かしい風が吹き、土の香りが感じられました。高校同期の仲間に支えられ、近い将来また何らかの形で小田原での個展を是非実現したいとのことで、楽しみにしたいと思います。
なお今回の個展は、6月10日タウンニュース紙、6月14日神奈川新聞 湘南・西湘iバザールに紹介されました。(記 しげじい)
【椎野聖個展】
■会期:2017年6月14日(水)~19日(月) 終了
■会場:アオキ画廊(小田原市銀座通り)