競馬場建設まで

競馬場建設まで

関東大震災直後の小田原駅

関東大震災直後の小田原駅

大正12年(1923)、マグニチュード7.9、死者9万人、り災者340万人を出した関東大震災。小田原も例外に漏れずこの震災にのみ込まれ、衰滅の危機に立たされました。小田原競馬場は、この危機から、まちの再興に夢を馳せて建設されたのです。

建設前

建設前

「元々は小田原城の大外郭の北側に位置するこの場所。競馬場ができる以前は、一面の梅林が広がっていました。ここは、足柄平野に丹沢山麓、前には小田原のまちと相模湾を見下ろすことができる最高の眺めの(場所)でした。」と地元の城源寺住職古林肇道さんは当時を振り返って話してくれました。

造成中の小田原競馬場

造成中の小田原競馬場

丘をすり鉢状に切り取った競馬場には、底の部分にコースが造られ、その周りを取り囲むように観客席が現れました。建設工事には、今では見られないトロッコを使った工法が用いられ、大規模なものとなりました。

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