史跡 ・桐大内蔵の墓所

桐大内蔵の墓所1基(市指定 昭和39年5月27日) 

所有

小田原市扇町1−15−7 長安寺

所在

小田原市扇町1−15−7 長安寺

形状等

高76cm 幅28cm 舟形光背型

概説

関東の女歌舞伎の開祖ともいえる桐家は、桐大内蔵を名乗る江戸の桐家と、桐尾上を名乗る小田原の桐家とがあって、それぞれ桐座という劇場を持っていましたが、古くから別の家系でした。しかし、両家の交流は深く、寛文年間(1661〜1672)に江戸木挽町で合同興行した、などの記録もあります。
小田原地方では、元禄16年(1703)11月22日夜大地震に襲われ、大きな被害を受けていますが、この時桐大内蔵が倒れてきた棒に当たって死亡した、と記録があります。この桐大内蔵は江戸の初代桐大内蔵ではないかと考えられます。

小田原の桐尾上は、小田原北条氏時代から舞太夫職を勤めた古流舞の大橋家から江戸時代に分家し、興行を続けていましたが、明治初期廃業しました。

劇場の桐座は、地元有志の努力もあって明治後期まで残っていました。

なお、江戸の桐大内蔵の墓が大橋家の墓所の中にあるのは興味深いことです。

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