史跡 ・平成輔の墓所

平成輔の墓所(市指定 昭和32年3月30日)

修復作業中のため現在は見学できません。

所有

南町3-11-3 報身寺

所在

南町3-11-3 報身寺

形状

墓所は、東西11m、南北12.20mあり、高さ78cmの石垣で囲まれています。墓所域内は長方形に区切られ、その中央に樹齢500年以上の古松がありましたが、つい最近、枯れてしまいました。また、高さ1.5mの江戸時代に造られた石祠(ほこら)があり、その前左右には2基の灯塔があります。別に碑が2基あり、一つは南側にあって栄田君子の歌碑、もう一つは東側にあって大勲位威仁親王筆の記念碑です。

概説

平成輔は、京都の公家で、本姓は平氏ですが、家が京都烏通りにあったので、烏丸成輔と称しました。また、官位が正三参議であり、参議の唐の呼び名が宰相ということから、平宰相成輔とも呼ばれていました。成輔は、御醍醐天皇の親任を受けて中興の仕事に加わり、鎌倉幕府の倒滅を計画したことが漏れて、六波羅探題(京都に置かれた鎌倉幕府の出張機関)に捕らえられ、鎌倉に護送される途中、元弘2年(1332)5月22日(成輔42歳)三河入道円重によって、早川の河口で殺害されました。その事情は、太平記・増鏡・大日本史などに詳しく書かれています。当時、この場所に潮音寺という建ったばかりの大寺があったので、その境内に葬られたとおもわれますが、潮音寺は明治41年に報身寺に合併され、この墓所も報身寺の所有となりました。

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