小田原城天神山回遊路が開通しました
南町の天神山丘陵には、「新堀」と呼ばれる戦国時代の小田原城の土塁や堀跡が残っており、清閑亭の敷地内と旧アジアセンター敷地内などでその姿を見ることができます。
このたび小田原市文化財課では、国際医療福祉大学のグラウンド脇に、これらの場所を結ぶ延長約80mの回遊路を整備しました。
この回遊路が完成したことで、新堀を見ることができる2箇所のスポットが尾根伝いにつながり、散策しやすくなりました。
歴史を感じる散歩に出かけてはいかがでしょうか。
小田原城と新堀
新堀は、戦国時代に北条氏によって天神山丘陵の南側斜面に沿って作られた堀で、西端は丘陵部から始まり、東端は低地部にまで延びております。新堀は、天正18年の小田原合戦に備えて総構が作られるまでの間、小田原城の外周を守る堀として機能していました。
新堀は、戦国時代当時の名称が分かるという点でも貴重な堀であり、天正15年(1587)の「傳肇寺文書」に「新堀」との記載があります。
堀跡は、これまでに複数地点で発掘調査が行われており、幅18.5m以上、深さ9.5m以上の大規模な構造であることが分かってきました。
現在では、清閑亭敷地内とアジアセンター跡地内に残る土塁が国指定史跡として保存されており、当時の面影を残しています。
新堀は、戦国時代当時の名称が分かるという点でも貴重な堀であり、天正15年(1587)の「傳肇寺文書」に「新堀」との記載があります。
堀跡は、これまでに複数地点で発掘調査が行われており、幅18.5m以上、深さ9.5m以上の大規模な構造であることが分かってきました。
現在では、清閑亭敷地内とアジアセンター跡地内に残る土塁が国指定史跡として保存されており、当時の面影を残しています。