馬出門 いざ開門!

137年の時を超えて
小田原城の正規登城ルート完成

馬出門は、小田原城の大手筋に位置し、二の丸を守る重要な門です。2009年春、総工費5億円余、江戸時代の姿によみがえりました。
あなたも往時の藩主気分で、枡形石垣・門・土塀の美しさに導かれ、いざ登城!

小田原城と馬出門

小田原城は、戦国時代には小田原北条氏による関東支配の中心拠点として、拡大を続け、戦国時代末期には日本最大規模の城郭となりました。江戸時代には、近世城郭として生まれ変わり、江戸幕府の西の守りを固める防衛上の要衝として、また、幕藩体制を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担いました。

 

明治時代になると廃城となり、大正12年(1923)の関東大震災では壊滅的な被害を受け、一部の堀などは埋め立てられました。

 

小田原城は、昭和13年以降6次にわたって国の史跡として指定され、現在までに本丸・二の丸のほとんどと三の丸外郭や総構の一部が国の史跡として保護されています。

 

小田原市では、史跡の管理団体として本丸・二の丸の国指定史跡を永久に保存管理し、その活用を図るため、平成5年に「史跡小田原城跡本丸・二の丸整備基本構想」を策定し、現在、二の丸から本丸へと至る大手筋の整備を進めています。

 

馬出門は、二の丸正面に位置する重要な門で、江戸時代の初期からこの場所に存在し、寛文12年(1672)に桝形形式の門に改修され、江戸時代の終わりまで存続しました。

 

小田原市では、文化庁・神奈川県の補助を得て、住吉堀、住吉橋、銅門の復元整備に続き、平成15年度から20年度にかけて、馬出門の復元整備事業を行いました。

馬出門の概要

馬出門は、馬出門と内冠木門の二つの門と周囲を石垣と土塀で四角に囲んだ「桝形形式」の門で、二つの門には、控柱にそれぞれ屋根がつく「高麗門形式」の門です。


絵図には、正面の門は、「馬出門」(御用邸総図)、「御馬出門」(小田原城并見附図)、「馬出門」(文久図)、「冠木門」(宮内庁図)などと記されています。桝形から出る南側の門は、「内冠木門」(宮内庁図・小田原城并見附図)と記されています。

馬出門 高さ約6.3m、幅約4.7m
内冠木門 高さ約5.3m、幅約3.6m
土塀 高さ約2.7m、地上高約4.3m、延長約88m
桝形内部 約500平方メートル
前庭部 約700平方メートル

この情報に関するお問い合わせ先

文化部:文化財課

電話番号:0465-33-1717

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