戦国時代、小田原北条氏の初代・早雲の招きで小田原へやってきた外郎(ういろう)家。その祖先が、国内三大祭りの一つといわれる京都「祇園祭(ぎおんまつり)」の蟷螂山(とうろうやま)を創始したことから、現在も交流が続いています(①参照)。本レポートでは、実際の祇園祭の様子を、2024年の取材からご紹介します。
株式会社ういろう社長で外郎家25代当主・外郎藤右衛門さんとご家族・社員の方々は、コロナ禍を除き毎年、この巡行に合わせて京都を訪れています。
保存会は町の住民を中心に、祇園祭の蟷螂山を守っています。江戸末期に一度焼失しながらも復活できたのは、こうした住民たちの汗と努力の結晶にほかなりません。復活後、創始者とのご縁を大切にし、小田原の外郎さんたちと交流を続けている保存会の皆さん。時代を超えた固い絆を、垣間見ることができました。
見どころはたくさんあり、「鬮改め(くじあらため)」の儀式もそのひとつ。四条堺町に設けられた鬮改め処(関所)で、奉行に扮した京都市長によって、山鉾巡行の順番が、事前に行われた「くじ取り式」で決まったとおりか確認されます。
八坂神社の神事 大観衆の中を行く
鴨川を挟んで八坂神社の西門側に位置する四条河原町交差点も注目ポイントです。
途中には、舞妓さんや大観衆が待ち受ける場所もあり、拍手と歓声の中を行くのです。
2024年は、途中でからくりのカマキリのカマが外れるトラブルもありましたが、午後1時20分ごろ、無事に巡行を終えて蟷螂山町へ戻ってきました。
カマキリは名古屋のからくり人形師宅へ「入院」となりましたが、2025年の祇園祭では完治した雄姿を見せてくれるでしょう。
古い歴史を守り 新しい発想も
蟷螂山町は1990年代のバブル崩壊後、不動産が様変わり。かつての京町屋は消え、マンションが林立した地域です。しかし、「町の人たちの中に祇園祭を、蟷螂山を愛する心は消えなかった」と保存会の村林理事長は振り返ります。
この地域では、建物1階に蟷螂山保存会の会所や収蔵庫を組み込むことを条件にマンションが建設され、移り住んだ住民が積極的に祭に関わるようになりました。村林理事長もその1人。40年前の蟷螂山復活当時の運営メンバーから現在のメンバーへ、徐々に世代交代も進んでいます。
20年前、祇園祭史上初の外国人の正使が登場したのも蟷螂山。2025年の祭りでは、そのご子息が正使を務めます。また近年は、授与品(蟷螂山にちなんだ厄除けの手拭い、Tシャツなど)の現代的なカマキリのデザインが話題になり、人気沸騰中。
静岡県森町にも蟷螂山の絆
早雲が招いた外郎家の「時を超えたご縁」は、実はもうひとつ、京都―小田原のほぼ中間地点にある静岡県森町にもつながっています。