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2025年06月16日(月)

京都「祇園祭」と小田原②

 戦国時代、小田原北条氏の初代・早雲の招きで小田原へやってきた外郎(ういろう)家。その祖先が、国内三大祭りの一つといわれる京都「祇園祭(ぎおんまつり)」の蟷螂山(とうろうやま)を創始したことから、現在も交流が続いています(①参照)。本レポートでは、実際の祇園祭の様子を、2024年の取材からご紹介します。
からくり仕掛けで動くカマキリを載せた螳螂山からくり仕掛けで動くカマキリを載せた螳螂山
蟷螂山の創始者 外郎家が毎年参加

 祇園祭は京都の八坂神社の祭礼。毎年初夏に準備が本格化し、7月の1カ月間で、さまざまな神事が行われます。そのクライマックスといえる山鉾巡行には前祭(さきまつり、毎年7月17日)と後祭(あとまつり、同24日)があり、蟷螂山は前祭で巡行します。
 株式会社ういろう社長で外郎家25代当主・外郎藤右衛門さんとご家族・社員の方々は、コロナ禍を除き毎年、この巡行に合わせて京都を訪れています。
螳螂山保存会の村林理事長。町会所にもカマキリ螳螂山保存会の村林理事長。町会所にもカマキリ
 2024年前祭前日の7月16日、外郎さん一行が京都の一般財団法人蟷螂山保存会へ到着すると、村林利高理事長ら役員から「おかえりなさい」と歓迎する声。
 保存会は町の住民を中心に、祇園祭の蟷螂山を守っています。江戸末期に一度焼失しながらも復活できたのは、こうした住民たちの汗と努力の結晶にほかなりません。復活後、創始者とのご縁を大切にし、小田原の外郎さんたちと交流を続けている保存会の皆さん。時代を超えた固い絆を、垣間見ることができました。
宵山で大人気「からくりカマキリ」が運ぶおみくじ宵山で大人気「からくりカマキリ」が運ぶおみくじ
カマキリ(蟷螂)がシンボル 祭り見どころ満載

 祇園祭の前祭の巡行前の3日間は「宵山(よいやま)」といい、八坂神社の氏子町内各所に出店屋台が並び、多くの人が行き交います。保存会主催のおみくじは「からくりカマキリ(蟷螂)」を介してくじを引けるので大人気。巡行本番に期待が膨らみます。
裃の背中の榊にもカマキリの折り紙裃の背中の榊にもカマキリの折り紙
 17日の巡行当日は早朝6時から準備し、神事に向けて山の飾り付け。午前8時半を過ぎると、裃や法被などに着替えた約50人が山の前に集まってきました。小田原の外郎さんたちのお顔も見えます。裃の背中には、小さな折り紙のカマキリ。さすが、蟷螂山です。
くじ改めを待ち、山鉾が連なる四条通りくじ改めを待ち、山鉾が連なる四条通り
 午前9時半、巡行参加者の家族や周辺住民らに見送られ、蟷螂山はゆっくりと四条通りへ出発。そこから八坂神社の方向へ進み、河原町通り、御池通りなど約4Kmのコースを4時間近くかけて巡行します。
 見どころはたくさんあり、「鬮改め(くじあらため)」の儀式もそのひとつ。四条堺町に設けられた鬮改め処(関所)で、奉行に扮した京都市長によって、山鉾巡行の順番が、事前に行われた「くじ取り式」で決まったとおりか確認されます。
奉行役の京都市長が、くじを確認奉行役の京都市長が、くじを確認
 正使(各山鉾を代表し、くじ改めでくじを渡す役)がくじ札入りの文箱を差し出し、奉行から通行の許しが得られると、扇子を広げて山鉾に合図を送り、巡行が続いていきます。
八坂神社の神事 大観衆の中を行く

 鴨川を挟んで八坂神社の西門側に位置する四条河原町交差点も注目ポイントです。
八坂神社の方向へ一礼八坂神社の方向へ一礼
 もともと山鉾巡行は、この日の夜に行われる神幸祭で神輿が京都のまちを渡御する前に、通りを清める儀式として行われるもの。巡行参加者は横一列に並んで八坂神社の方向へ深々頭を下げると、隊列の向きを変え、神社の方角を右手に見ながら進みます。
 途中には、舞妓さんや大観衆が待ち受ける場所もあり、拍手と歓声の中を行くのです。
舞妓さんも祭りを応援舞妓さんも祭りを応援
 蟷螂山は、御所車の上に体長約1.2メートルのからくり仕掛けで動く蟷螂(カマキリ)を据えた山。沿道の拍手に応え、カマを振り上げたり、羽を広げたりすると、歓声がわきます。
 2024年は、途中でからくりのカマキリのカマが外れるトラブルもありましたが、午後1時20分ごろ、無事に巡行を終えて蟷螂山町へ戻ってきました。
 カマキリは名古屋のからくり人形師宅へ「入院」となりましたが、2025年の祇園祭では完治した雄姿を見せてくれるでしょう。
立ち並ぶマンションの前で参加者全員が協力して山仕舞い立ち並ぶマンションの前で参加者全員が協力して山仕舞い
 準備から巡行本番、そして後片付けまで、保存会の皆さんと地元住民、そして小田原の外郎さんたち一行が、一致団結して手際よく取り組んでいるのが印象的でした。
古い歴史を守り 新しい発想も

 蟷螂山町は1990年代のバブル崩壊後、不動産が様変わり。かつての京町屋は消え、マンションが林立した地域です。しかし、「町の人たちの中に祇園祭を、蟷螂山を愛する心は消えなかった」と保存会の村林理事長は振り返ります。
 この地域では、建物1階に蟷螂山保存会の会所や収蔵庫を組み込むことを条件にマンションが建設され、移り住んだ住民が積極的に祭に関わるようになりました。村林理事長もその1人。40年前の蟷螂山復活当時の運営メンバーから現在のメンバーへ、徐々に世代交代も進んでいます。
 20年前、祇園祭史上初の外国人の正使が登場したのも蟷螂山。2025年の祭りでは、そのご子息が正使を務めます。また近年は、授与品(蟷螂山にちなんだ厄除けの手拭い、Tシャツなど)の現代的なカマキリのデザインが話題になり、人気沸騰中。
螳螂山は細部にもカマキリの飾りが付けられている螳螂山は細部にもカマキリの飾りが付けられている
 古い歴史と伝統を守りながら新しいものを常に取り入れ、地域と人の結びつきを継承していく様子には、まちづくり、まちおこしの進化のヒントがたくさん詰まっていると感じられました。
静岡県森町にも蟷螂山の絆

 早雲が招いた外郎家の「時を超えたご縁」は、実はもうひとつ、京都―小田原のほぼ中間地点にある静岡県森町にもつながっています。
 蟷螂山巡行での稚児舞がルーツといわれる伝統芸能「蟷螂舞」が、祇園祭と同時期、同町内の山名神社天王祭で奉納されているのです。これについては広目子さんの過去レポートに詳しく紹介されているので、ぜひご覧ください。
 いま小田原にいるあなたも、このご縁にあやかって、京都や森町へ行ってみませんか? 京都は新幹線に乗れば2時間ちょっとです。毎夏テレビニュースで必ず見かける祇園祭に、いっそう親しみを感じるでしょう。
 
記:予史重
取材協力・一般財団法人蟷螂山保存会、株式会社ういろう
>>京都「祇園祭」と小田原①はコチラから

2025/06/16 11:21 | 歴史

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