旧国府津村文書(長谷川家旧蔵)   

平成13年度購入 
 元禄2年(1689)から明治16年(1883)までの史料全407点であり、目録化にあたっては一括編年目録としました。内訳は、小田原藩・足柄県・神奈川県など広域にわたる支配に関するものが56点、反別明細・土地の売買や賃借・境界総論に関するものが21点、転籍・隠居・相続など戸籍に関するものが24点、江戸期の年貢・夫役銭・船役金、明治期の税金・公的負担に関するものが112点、漁業・農間稼ぎなど産業に関するものが37点、国府津村の村政に関するものが26点、橋梁・用水路・堤の普請など土木に関するものが12点、東海道の交通・海上運送、明治期の通信事業など交通に関するものが73点、長谷川家そのものに関するものが20点、その他分類不能なものが26点です。
 旧国府津村、長谷川家に伝来したと推定される史料群で、長谷川家は「新編相模国風土記稿」に見える里正(名主)を務めた市郎左衛門家と同一です。この文書群は明治期まで長谷川家に伝来し、その後流失したものとみられますが、詳細は不明です。「国府津町誌」によれば、長谷川家は明治以降も村長や各種委員など、村政の重責を担っています。
 なお、「小田原の近世文書目録2」には「長谷川家文書」として万治2年(1659)から明治6年(1873)までの年代の史料が23点収録されています。これらの史料と郷土文化館が購入したものとは重複せず、長谷川家にそのまま伝来したと考えられます。

資料目録

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ピックアップ資料紹介

申年御物成可納割付之事

申年御物成可納割付之事

申年御物成可納割付之事

 享保元年(1716)11月、小田原藩の大橋儀兵衛他2名が国府津村に宛てた年貢割付状である。全長3mを超える。400点を越える旧国府津村文書であるが、その内の約25%がこの年貢割付状である。
 毎年11月上旬から12月上旬の間に村宛てに発せられ、12月晦日までに名主・惣百姓立ち合いのもと、決められた年貢が納められる事になっていた。宛所に組頭の名は見えないが、村方三役の役割分担によるものであろうか。
文中「壱反七畝廿弐歩 宝永四亥より砂埋」と見えるが、これは宝永4年(1707)富士山大噴火の降灰により砂で埋まってしまった田の面積を表している。


【釈文】

申年御物成可納割付之事  PDF形式 :25.8KB


申年国府津村船役金可納割付之事

申年国府津村船役金可納割付之事

申年国府津村船役金可納割付之事

 明和元年(1764)12月、小田原藩の伊田与市郎兵衛他4名が国府津村に宛てた船役金割付状です。年貢割付状ほど残存していませんが10点以上を数えます。
 年貢割付状同様、11月から12月の間に村宛に発せられました。年貢と異なり納める期日は12月25日となっています。船役金は所持する船にかかる税金で、船の種類・大きさによって税額が異なっていました。
 確認できる範囲での国府津村における船数は、多い時が元禄8年(1695)の18艙、少ない時が寛政5年(1793)の8艙で、概ね11艙前後を所持している場合が多いようです。
 もう一つ注目したいのは、小田原藩の藩役人の中に「作州 柳井左京」の名が見えることです。作州とは美作国の事で現在の岡山県東北部にあたり、当時、小田原藩の飛び地が置かれていました。他の藩役人は捺印していますが、柳井は不在のため捺印できなかったものと考えられます。


【釈文】

一札之事(田島村そめ縁付につき)

一札之事

一札之事

 文化12年(1815)、田島村の名主伴蔵以下4名が国府津村役人に宛てた縁組に関する文書です。
 少々内容が取りづらいですが「田島村の伴蔵たちは、田島村の七右衛門の21歳になる娘そめを、国府津村の津右衛門に娘として斡旋した。ただし田畑など財産は持たせていない。女性だから津右衛門より優位に立つようなことはない。もし色々言って来る人間がいたら、国府津村の村役人の方々へは苦労を一切かけない」という内容のようです。
 前後の事情も含め、養子なのかもはっきり書かれていないため、どのような事情で、またどのような立場で21歳の女性であるそめが縁づいたのかは不明です。


【釈文】

一札之事  PDF形式 :40.6KB


差上申一札之事(下大井村たけ縁付宗旨替につき)

差上申一札之事

差上申一札之事

 天保7年(1836)下大井村泉蔵院が寺社奉行所へ宛てた文書です。
 内容は、下大井の真言宗泉蔵院の檀家新兵衛の娘たけが国府津村の平八郎に嫁ぎ、時宗光明寺の檀家になった事を報告したものです。
 江戸幕府は人々に寺請証文を受けることを義務付け、キリシタンではないことを寺院に証明させました。寺院は寺請証文を与えた人々を書き上げた「宗門人別帳」を作成し、これを寺社奉行所へ提出しました。泉蔵院は前年度の報告後の異動について、寺社奉行所に報告したとみられます。しかし、なぜ国府津村の名主の元に正文とみられるこの文書が遺されたのかは不明です。


【釈文】

差上申一札之事  PDF形式 :35.7KB


乍恐以書付奉願上候(御用人馬御免除につき)

乍恐以書付奉願上候

乍恐以書付奉願上候

 天保14年(1843)、国府津村の村役人達が奉行所(恐らく道中奉行所)へ文書を提出するにあたり、小田原藩の藩役人宛に前もって報告したものです。
 「この度将軍の日光参詣にあたり人馬の提供を求められたが、小田原宿の助郷、近在の村々から大磯宿までの荷物の継立、更に享保年間からは酒匂川の普請の際の荷物の継立も常態化する等たいへん苦労しているので、今回は免除してもらいたい」、という内容のものです。
 特に助郷について、上りは箱根八里を越え、下りは酒匂川を越えて大磯まで継立てなくてはならず、大変であるとも訴えています。


【釈文】

乍恐以書付奉願上候  PDF形式 :74.2KB


最終更新日:2020年09月23日


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文化部:生涯学習課 郷土文化館係

電話番号:0465-23-1377


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