建造物・小嶋家の宝篋印塔・五輪塔

小嶋家の宝篋印塔(ほうきょういんとう)・五輪塔(市指定)

所有

   個人

所在

   酒匂2−41−37 大見寺

形状

徳治3年(1308)銘の宝篋印塔(昭和45年12月15日指定)

 高さは台座とも、145cmで、塔身に「右者為左衛門入道也 比丘尼満阿 徳治三年戌申六月廾三 日 沙弥性阿」と刻まれています。
 相輪は、室町時代の宝塔が流用されています。

天文21年(1552)銘の宝篋印塔(昭和49年3月30日)

 高さ170cmで、基礎に「相模足下郡於酒匂郷 為小嶋行西也天 文廿一壬子年四月日孝子敬白」と刻まれています。塔身の石質が違うので、他のものを取って補充したものと思われます。 笠と反花座は、鎌倉時代の特色を示しています。

天正2年(1574)銘の五輪塔(昭和49年3月30日)

 高さ210cm、基礎に「相模西郡酒匂郷 小嶋治部少輔敬白 天正二甲戌年八月廾二日」と刻まれています。
 水輪と頭部の2石(風輪、空輪)は新しく、後補のものです。

 この三基の墓碑は、大見寺本堂左側の墓地にあって、酒匂の旧家小嶋家の祖先を祭る三つの墳墓として、古くから知られています。

概説

 小嶋家は、鎌倉時代から家名が現れた酒匂の休旧家で、北条時代には酒匂郷の小代官を務め、江戸時代に入っても名主・組頭役を務めました。
 大見寺は、光見山無量院と号する浄土宗の寺院です。
 徳治3年の墓石は、同年6月に没した小嶋家の祖先・左衛門入道の墓で、満阿はおそらく未亡人、性阿は子息で、この両人によって建てられたものです。阿号(阿弥陀の頭文字をとった、出家した人の号)は、時宗系とも思われますが。一家の信仰が深く、生前に仏門に帰依(きえ:信仰し、教えにしたがう)したことが分かります。また、鎌倉時代末期の、民家の仏教信仰が篤かったことを示す好例です。

 天文21年の墓石は、小嶋家の中興の祖、小嶋行西の墓で、孝子敬白とは、行西の左衛門太郎正吉のことと思われます。

 天正2年の墓石は、小嶋治部少輔が建立したものですが、おそらく左衛門太郎正吉の墓と思われます。

 以上、三つの墓石は、市内にある個人の墓のうち、年代を明記した最も古いもので、構造も各時代の特色を良く示した貴重な資料です。

この情報に関するお問い合わせ先

文化部:文化財課

電話番号:0465-33-1717

この情報についてのご意見・ご感想をお聞かせください!

このページの情報は分かりやすかったですか?

※システム上、いただいたご意見・ご感想に対する回答はできません。
回答が必要な内容に関しましては、お問い合わせ先の担当課まで直接お願いいたします。
※住所・電話番号等の個人情報については記入しないようお願いいたします。
※文字化けの原因となる、丸付き数字などの機種依存文字や半角カタカナは記入しないようお願いいたします。

ページトップ