工芸品・総世寺の銅鐘 1口 (そうせいじのどうしょう)
指定名称 | 銅鐘(総世寺) |
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所在 | 久野3670 総世寺 |
形状等 | 総高 104.0㎝ 鐘身高 80.0㎝ 笠形 30.0㎝ 龍頭高 21.0㎝ 口径 50.0㎝ 厚さ 5.0㎝ |
概説
青銅製の和鐘(わしょう)で、龍頭は2個の獣頭(じゅうとう)からなり、上帯は素文です。乳は4段4列で、中帯の位置は低く、下帯には蓮華唐草文が巡らされます。撞座(つぎざ)は龍頭と同軸線上にあり、子房の周辺に65本の雄蕊と16葉の単弁を配します。下端の駒の爪は薄く、突き出しが強いです。銅鐘に損傷はみられません。
なお池ノ間と呼ぶ部位に、時代の異なる三つの銘文が刻まれ貴重です。
なお池ノ間と呼ぶ部位に、時代の異なる三つの銘文が刻まれ貴重です。

総世寺の銅鐘
第一の銘文
鋳造当時のもので、造立者は毛利常吉(毛利庄(もりのしょう)、現厚木市北部)という大工(鋳物師)で、応永15年(1408)に鋳造したことが分かります。
第二の銘文
永禄元年(1558)11月21日付で、生田若狭守藤原重吉という人物が、神社に寄進したことが刻まれています。この神社は六所宮(大磯町国府新宿)と推定されています。
第三の銘文
天正18年(1590)7月21日付で小田原合戦の際、久野に布陣した羽柴中納言秀次が、総世寺に寄進したことが刻まれています。秀次陣所の陣鐘として用いられたと伝えられています。
鋳造当時のもので、造立者は毛利常吉(毛利庄(もりのしょう)、現厚木市北部)という大工(鋳物師)で、応永15年(1408)に鋳造したことが分かります。
第二の銘文
永禄元年(1558)11月21日付で、生田若狭守藤原重吉という人物が、神社に寄進したことが刻まれています。この神社は六所宮(大磯町国府新宿)と推定されています。
第三の銘文
天正18年(1590)7月21日付で小田原合戦の際、久野に布陣した羽柴中納言秀次が、総世寺に寄進したことが刻まれています。秀次陣所の陣鐘として用いられたと伝えられています。
アクセス
小田原駅東口から伊豆箱根バス「県立諏訪の原公園」行乗車「総世寺前」バス停下車 徒歩1分
銅鐘は、水曜日を除き9時~15時まで見学できます。
※法要等で見学できないことがあります。
銅鐘は、水曜日を除き9時~15時まで見学できます。
※法要等で見学できないことがあります。
地図
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課
電話番号:0465-33-1717