組木細工 山中氏 作 18点 (くみきさいく やまなかし さく)

左から 国会議事堂(二代和市) 五十一本型(四代成夫) つる(初代常太郎) 五重塔(初代常太郎) 象(三代広吉)
指定名称 | 山中氏の組木 |
---|---|
所在 | 荻窪384 山中組木工房 |
形状等
作者名 |
形状(品名) |
材質 |
寸法(組上り)cm |
構成部材の数 |
初代 |
五重塔 |
ホオノキ |
7.0×7.0×23.0 |
26 |
陽明門 |
ホオノキ |
13.0×8.0×12.5 |
29 |
|
つる |
ホオノキ |
15.0×19.0×10.0 |
13 |
|
三輪車 |
ホオノキ |
19.0×43.0×38.0 |
8 |
|
二代 |
国会議事堂 |
ホオノキ |
14.0×29.0×13.0 |
32 |
名古屋城 |
ホオノキ |
7.0×9.0×18.0 |
35 |
|
水泳(人形) |
ホオノキ |
4.0×9.0×12.0 |
9 |
|
レビュー(人形) |
ホオノキ |
5.0×7.0×20.0 |
9 |
|
三代 |
神橋 |
ホオノキ |
9.0×37.0×12.0 |
84 |
ライオン |
ホオノキ |
10.5×24.0×11.5 |
11 |
|
象 |
ホオノキ |
11.0×17.0×13.0 |
13 |
|
豚 |
ホオノキ |
8.0×17.0×11.0 |
15 |
|
猫 |
サクラ |
4.5×16.0×10.0 |
13 |
|
サイドカー |
ホオノキ |
14.0×16.0×16.0 |
15 |
|
四代 |
五十一本型 |
ホオノキ |
27.0×27.0×27.0 |
51 |
清水型 |
シウリザクラ |
23.0×23.0×23.0 |
54 |
|
糸車 |
ウオルナット |
27.0×27.0×27.0 |
15 |
|
二十七本型 |
シウリザクラ |
22.0×22.0×22.0 |
27 |
概説
山中家は江戸時代から小田原の住人で、組木の創業者である初代山中常太郎(1874~1954)は、代官町(現本町三丁目)のあわび屋(箱根物産指物(さしもの)製造販売業)の門に入り、指物技術を修業し、明治30年(1897)に独立して指物業を開きました。
当初は、あんどん枕を生産していましたが、外国製の組木サンプル(角型、樽型など)を見て触発され、優れた考察力によって新製品を創作し、好評を博しました。
これらは智恵木(ちえき)と呼ばれ、国内だけでなく、海外にも輸出されました。
五重塔などの建造物をはじめ、三輪車、飛行機、船など乗り物を得意としました。
長男和市(二代)と、次男広吉(三代)もそれぞれ父の指導を受けて技術を習得しましたが、二代和市は、天守閣、国会議事堂などの建造物に秀作を残しました。
三代広吉は、動物の形に興味を持ち、多数の型を創作しましたが、特にライオン、象、猫などに示された造形力は優れたものがあります。
四代成夫も、父広吉の下で修業し、天性卓抜な創作力を生かして、昭和30年頃から独自の型を発表しました。
型は、先代たちと異なり、抽象的かつ現代的であって、昭和34年(1959)頃から柳宗理、勝見勝、清家清などの識者に注目され、高い評価を得ました。
このように、代々一族一統が連続して難しい創作組木一筋に歩み続けることは、まれな例といえます。
当初は、あんどん枕を生産していましたが、外国製の組木サンプル(角型、樽型など)を見て触発され、優れた考察力によって新製品を創作し、好評を博しました。
これらは智恵木(ちえき)と呼ばれ、国内だけでなく、海外にも輸出されました。
五重塔などの建造物をはじめ、三輪車、飛行機、船など乗り物を得意としました。
長男和市(二代)と、次男広吉(三代)もそれぞれ父の指導を受けて技術を習得しましたが、二代和市は、天守閣、国会議事堂などの建造物に秀作を残しました。
三代広吉は、動物の形に興味を持ち、多数の型を創作しましたが、特にライオン、象、猫などに示された造形力は優れたものがあります。
四代成夫も、父広吉の下で修業し、天性卓抜な創作力を生かして、昭和30年頃から独自の型を発表しました。
型は、先代たちと異なり、抽象的かつ現代的であって、昭和34年(1959)頃から柳宗理、勝見勝、清家清などの識者に注目され、高い評価を得ました。
このように、代々一族一統が連続して難しい創作組木一筋に歩み続けることは、まれな例といえます。
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課
電話番号:0465-33-1717