考古資料・小田原市羽根尾貝塚の縄文時代前期出土品
所有 | 小田原市 |
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数量 | 458点 |
はじめに
私たちの住む小田原は南を相模湾に面し、三方が箱根外輪山・丹沢山地・大磯丘陵の山々に囲まれており、酒匂川によって形成された肥沃な足柄平野が中央に広がっています。
こうした地理的環境のもと古くは旧石器時代の昔より、小田原城を中心とする中世、近世までの遺跡が 278か所確認されています。
この中には国指定史跡となっている小田原城跡や石垣山一夜城跡のほか、弥生時代の中里遺跡、古墳時代の久野古墳群や羽根尾横穴墓群、奈良・平安時代の千代廃寺や下曽我遺跡のように、全国的にもその名が知られた遺跡があります。
縄文時代の羽根尾貝塚もその一つですが、その存在が知られるようになったのはごく最近のことで、工業団地建設に伴い平成10年から行われた発掘調査においてでした。羽根尾貝塚は神奈川県西部の貝塚では3例目、泥炭層を伴う貝塚としては神奈川県初で、大変貴重な発見となったのです。
縄文時代と羽根尾貝塚
縄文時代は、13,000年前から2,300年前までの約10,000年間という大変長い期間続いた時代で、大きく草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の六時期に区分されています。この時代の人々は、縄文土器と石器に代表される道具を使用し、狩猟、漁労、木の実などの植物性食料の採集によって生活を営んでいました。
羽根尾貝塚は、今から5,800年前の縄文時代前期、縄文海進期と呼ばれる比較的温暖な気候の時代に形成されたと考えられています。
羽根尾貝塚の概要
羽根尾貝塚は、大磯丘陵から派生する丘陵最先端に位置する、貝塚と低湿地とからなる遺跡です。貝塚は最も大きいもので20.8×8.0mの範囲に広がっており、ダンベイキサゴとヤマトシジミの2種類の貝が主体となって捨てられていました。
貝層の厚さが約50cmと薄いことを考えると、貝の採集はあまり長期間ではなかったと推定されます。この貝塚は、泥炭層という水分と有機質を含む土層であったために、一般の遺跡では腐ってしまう遺物が数多く出土したのが特徴です。
出土した遺物は、縄文時代前期の関山式・黒浜式土器のほか、漆塗りの木製容器、丸木舟を漕ぐための櫂、骨や角で作った髪飾りや釣針などの生活の道具が出土しています。また、カツオ、イシナギなどの魚類、イノシシ、シカ、イルカなどの哺乳類の骨や歯、クルミなどの木の実といった縄文人たちの食べかすなども含まれています。
なお、貝層中から埋葬された成人男性の骨も出土しており、貝塚が単にゴミ捨て場ではないという、縄文人の死後に対する意識もみてとることができます。
つまり、羽根尾貝塚は縄文人たちの暮らしぶりを探るうえでとても貴重なタイムカプセルということができるのです。
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課
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