「小田原文学館」は、西海子(さいかち)小路にある田中光顕伯爵の別邸であった瀟洒な洋館です。この小田原文学館を会場に、1月23日〜3月16日までの期間で『北原白秋―詩人の見た風景』展が開催されています。昨年、生誕130年を迎えた詩人・童謡作家として知られる北原白秋の「生誕130年記念交流特別展」です。「交流」とあるのは、白秋は九州福岡県柳川市に生まれ、東京、三崎、小田原と生涯に30回も転居した関係で、白秋にゆかりのある柳川、三浦、小田原の3市が交流する一環として行われているからです。
この年7月に白秋は鈴木三重吉の児童雑誌「赤い鳥」創刊に協力して童謡面を担当することになり、白秋の大きな飛躍となるのです。大正8年夏には、寺の東側に初めて自宅を建てました。そして、かって訪れた小笠原島の風情のある茅葺・藁壁の「木兎(みみづく)の家」を併設しました。翌9年には二階建ての洋館「白秋山荘」も建てました。ようやく白秋に日の当たる日を迎えたのですが、一方で、章子夫人と谷崎潤一郎とのいわゆる「小田原事件」がおきて、白秋は大きな試練を乗り越えねばなりませんでした。しかし、大正10年4月には菊子と結婚し、白秋にも落ち着いた生活が始まりました。翌年には長男・隆太郎も誕生し、子育ての中で「揺籃のうた」などを作詞するようになります。
白秋は8年間を小田原で過しましたが、白秋にとっての小田原時代はもっとも充実した創作の期間でした。白秋が生涯に創作した1200編もの童謡作品のうち、半数は小田原時代につくられたほどです。「雨」、「赤い鳥小鳥」、「あわて床屋」、「砂山」、「からたちの花」、「かやの木山の」、「ペチカ」、「待ちぼうけ」、「雨ふり」、「この道」など、誰でもが子どもの頃に、一度は口ずさんだ歌が作詞されました。
白秋は小田原の地を気に入って生涯住みたいと思っていたようですが、関東大震災で住居が半壊し、大正15年に東京へ転居してしまいました。