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2024年07月04日(木)

「金の金次郎」

(写真1)報徳二宮神社御社殿(写真1)報徳二宮神社御社殿
 明治27年(1894)4月に創建された報徳二宮神社は、小田原城の南側の杜の中にあります(写真1)。御祭神は二宮尊徳【天明7年(1787)―安政3年(1856)】です。江戸時代末期に農村復興事業を指導して各地で成果をあげ、多くの弟子を育てました。二宮尊徳の幼名は「金次郎」で、二宮尊徳の名前よりも二宮金次郎の名前の方がよく知られています。それは、薪を担ぐ金次郎姿の彫刻が全国の小学校に設置されて全国的に知られ、今でも数多く残っているからでしょう。
(写真2)金次郎像(写真2)金次郎像
 報徳二宮神社の境内にも、祈祷殿の前に金次郎像が立っています(写真2)。台座には大きなしめ縄が飾られています。山で柴刈りをした帰り道、薪を背負って歩きながら本を読んでいる、いわゆる「金次郎像」です。金次郎像は、ブロンズ製、石製、コンクリート製とさまざまですが、この金次郎像はブロンズ製です。昭和3年(1928)昭和天皇即位御大礼記念として神戸の中村直吉氏が寄贈されたもので、製作は三代目慶寺丹長です。同じものが約1千体も製作されて全国の小学校などに設置されましたが、戦時中に全て供出されて残っているのはこの一体だけだそうです。
(写真3)小田原駅東口の金次郎像(写真3)小田原駅東口の金次郎像
 小田原市内には、小学校だけでなく様々な場所に金次郎像があります。生家のある栢山には、庭に金次郎像が立っている民家もあります。小田原駅の東口バス乗り場へ通じる東口通路の2階デッキにも金次郎像が立っています(写真3)。金次郎の手にある本をのぞき込むと、「一家仁一國興仁」の文字が刻まれています。朱子学の書「大學」の一節です。「一家が仁になれば一国みな興起して仁となる」と云う意味です。
(写真4)「杜のひろば」(写真4)「杜のひろば」
 小田原駅東口からお城通り(ミナカ小田原前)を進むと、小田原城北入口に至ります。城内へ入り天守閣の下を巡ると、報徳二宮神社の裏門があります。鳥居をくぐり進むと御社殿の前にでます。それを左に進むと、右側に「杜のひろば」があります(写真4)。中には緑の木立に囲まれて休憩できる「きんじろうカフェ」と「Café小田原柑橘倶楽部」があります。
(写真5)杜のひろば右奥に金の金次郎像(写真5)杜のひろば右奥に金の金次郎像
「杜のひろば」の入口から、森の右奥に金色の金次郎像が見えます(写真5)。この像の製作は、富山県高岡市にある「竹中銅器」社製だそうです。金次郎像は数多くありますが、黄金に輝き光る金次郎像はこの一体だけではないでしょうか(写真6)。二宮尊徳を崇敬する心から、金色にしたのかもしれません。
(写真6)金の金次郎像(写真6)金の金次郎像
 この像は、令和5年(2023)2月に東京駅前の八重洲ブックセンター本店から移されたものです。金の金次郎像は、「理想の読書人」のシンボルとして本店入り口の脇に立って、本を求めてこられる読書人を見守ってきたのです(写真7)。ところが、東京駅八重洲口駅前の再開発に伴い、八重洲ブックセンター本店が営業終了となりました。そこで、この金の金次郎像は、二宮金次郎にゆかりのある報徳二宮神社に寄贈されたのです。
 金次郎像の台座には当初から銘板がはめ込まれていました。
勤勉にして片時も本を手離さなかった二宮金次郎こそは真に理想の読書人である
平成三年六月二十四日
 株式会社 八重洲ブックセンター
   会長 河相全次郎
(写真7)八重洲ブックセンターにあった金次郎像(写真7)八重洲ブックセンターにあった金次郎像
 河相全次郎氏は、昭和4年(1929)広島県に生まれ、昭和60年(1985)に株式会社八重洲ブックセンター会長となりました。昭和61年(1986)には鹿島出版会副会長を務め、出版業界に多大な貢献をされた方でした。八重洲ブックセンターは、昭和53年(1978)に開業しました。鹿島建設会長鹿島守之助博士の「どんな本でもすぐ手に入るような書店が欲しい」との強い願いの遺志に応えて創設されたそうです。
 鹿島守之助氏の遺志と河相全次郎氏の想いのこもった金の金次郎像は、今は金次郎を祀る報徳二宮神社の杜の中に静かに立っています。殺風景な校庭に立っていることの多い金次郎像ですが、ここの金次郎像は緑の木立の中に立っています。金の金次郎は、まさしく山から薪を背負って下りてきたときの姿を再現しているように感じました。
 報徳二宮神社に行かれた時には、是非立ち寄ってみてください。
 
記:広目子

2024/07/04 14:19 | 歴史

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