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2020年11月10日(火)

おだわら・「まちハント」

小田原市民会館本館(写真1)小田原市民会館本館(写真1)
10月25日快晴の秋天の下、「おだわら・まちハント」のトライアルにでかけた。小田原市文化部文化政策課の主催で、小田原市文化レポーターのメンバーが参加した。「まちハント」とは、街中へカメラを持って出かけ、面白そうなテーマの被写体を拾い集める、即ちハントしてくることである。今回の観点としては、城下町らしい「城町もよう」、木造町家など「レトロ建築」、おもしろい形の「おだもじ」の三つをキーワードとして撮影し、写真を投稿するイベントである。SNS上での紹介と、2月に開催予定の「城町アートプロジェクト」での展示作品とする予定とのことなので、張り切って出かけた。

 
「宮小路」の看板(写真2)「宮小路」の看板(写真2)
朝9時に小田原市民会館に集合して、宮小路方面へ出かけることにした(写真1)。宮小路には古い建物も残っているとの期待があった。さっそく、「おだもじ」として「宮小路」の看板を見つけた。信号機のような赤・黄・緑の色が可愛い(写真2)。
下見板張りの古民家(写真3)下見板張りの古民家(写真3)
1.レトロな木の味わい

私は建築が好きなので、レトロな木造の古民家や古店舗などを主にして探すことにした。小田原は大正12年(1923)に発生した関東大震災の震源地に近く、江戸、明治時代の建物がほとんど倒壊してしまった。震災後に建てられた昭和初期の建築が、小田原には百軒以上残っているそうだ。百年前ほど古くなくても、戦後の木造民家はまだたくさん残っている。木造民家は、板張りの外壁に特徴がある。下見板張りは、外壁板を横方向に重ね、縦に桟を通して押える。時代とともに木の風合いが生まれている。(写真3)
 
木造の古商店(写真4)木造の古商店(写真4)
かつての宮小路は、小田原の夜の繁華街として大いに栄えた。料理店、料亭、飲み屋、キャバレー、スナック、などが軒を連ね、酔客たちは小田原駅からタクシーで乗り付けた。バブルが弾けた以降、宮小路はすっかり寂れてしまった。たまたま松原神社の門前でお参りをしていたお婆さんに、「どこから来たの?」と声をかけられた。主旨を話すと、「うちもお店をやっていたけれど、もう閉じちゃったわ」と話してくれた。宮小路には飲み屋だけではなく、ここに住む人たちが利用したであろう閉店した店舗建物がいくつも残っている(写真4)。
アートな飲み屋(写真5)アートな飲み屋(写真5)
もちろん現役のお店も多数あり、樹葉が覆う店頭を現代風アートで飾り付けた飲み屋さんがあった(写真5)。
「籠清」本店の店構え(写真6)「籠清」本店の店構え(写真6)
かまぼこ通りの「籠清本店」は、旧街道沿いの町家の典型である。重厚な店構えには、老舗の誇りが現れている(写真6)。
 
連子格子の木の味わい(写真7)連子格子の木の味わい(写真7)
青物町の通りに出ると、正面に「おにぎり お茶づけ おかめ」と看板の出る縦格子の外壁の古い店舗があった。もう閉店しているのだろうか、のれんは出ていなかった。その繊細な連子格子の外壁が、何とも日本の古民家のよき雰囲気を醸し出していた。桟の木肌に、味わい深く、えも言われぬ魅力を感じた。(写真7)
 
市民会館催事看板(写真8)市民会館催事看板(写真8)
2.鉄さびの魅力
街が古くなれば、建物にも衰えが現れてくる。衰えを視覚的に感じさせるのが「鉄さび」である。鉄製の建材は、時とともに錆びて赤茶ける。それは、人が住んで塗装などで手を加え続けていれば目立たないが、ひとたび放置されるとあっという間に現れてくる。市民会館本館前の催事看板の支柱は鉄製である(写真8)。塗装が剥げ、錆が浮き出ている。鉄柱は根元から腐るから、倒壊の危険もある。その意味でも、市民会館は限界に来ているのかもしれない。
 
窪倉豆腐店(写真9)窪倉豆腐店(写真9)
宮小路の通りに、「窪倉豆腐店」と消えかかった看板のある古店舗があった。もうずいぶん前に閉店したのだろう。シャッターの赤さびがその時の流れを感じさせた(写真9)。
「くじゃくカメラ」旧店舗シャッター(写真10)「くじゃくカメラ」旧店舗シャッター(写真10)
廃れた商店街を「シャッター通り」と呼ぶ。商店のシャッターは、商店街の顔である。シャッターには、店名のほかにも様々な模様や絵が描かれている。青物町にある「くじゃくカメラ」の旧店舗のシャッターも味わい深い。(写真10)昔は色鮮やかに羽根を広げた孔雀が、多くの客を迎えたことだろう。極彩色であった羽根は、今では赤茶色である。それでもなお、赤さびた孔雀が青物町通りの栄枯盛衰を語ってくれている。赤茶色に変色した鉄さびは街の歴史の証人として、その魅力を放っているのである。
益田鈍翁書「籠清」看板(写真11)益田鈍翁書「籠清」看板(写真11)
3.小さなアートを探す

街をぶらぶら歩いていると、思わぬ発見がある。「籠清」本店の軒先に掲げられていた看板の文字が、「か古清」と味わい深い文字で書かれていた。よく見ると、左側に「鈍翁書」とある。(写真11)三井財閥の大番頭で大茶人でもあった益田鈍翁の書である。鈍翁は小田原の板橋に「掃雲台」と云う広大な別邸を構えていて、東京から政財界人を招いて大茶会を度々ひらいた。小田原には鈍翁ゆかりの品を所蔵している商店も少なくない。老舗茶舖・和紙店の「江嶋」にも鈍翁所蔵の品がある。歴史の詰まった「か古清」の文字は、「おだもじ」に採用することにしよう。
 
花模様ガラスブロック(写真12)花模様ガラスブロック(写真12)
かまぼこ通りの「魚かし」の山車小屋を曲がったところに洒落た外壁の家を見つけた。今ではあまり使われなくなったガラスブロック窓である。そのガラスには幾何学的な花模様が鋳込まれている(写真12)。窓周辺はひび割れ、最上部のブロックは破損しているが、それでも施主がデザインに込めた想いが伝わってくる。青白いガラスの連なりに、往時のデザイン・センスを思い起こさせる。これは、レトロ建築デザインに採用しよう。
 
石壺の中の秋の風情(写真13)石壺の中の秋の風情(写真13)
街中とは云え、10月末ともなれば、あちらこちらに秋を感じる。街ハントをしていると、街の小さな光景を切り取って、季節ごとの風情を感じることができる。ある店の前に置かれた石壺を覗き込むと、黄色く色づいた落葉が溜水に浮いていた。(写真13)同心円の中の落葉に、秋の深まりを見ることができた。これは、「城まちもよう」に採用することにしよう。
 
「出桁」と白のれん(写真14)「出桁」と白のれん(写真14)
かまぼこ通りから1号線に出ると、「なりわい交流館」がある。小田原まち歩きの「お休み処」であり、各種のイベント会場としても利用されている。建物は伝統的な「出桁造り」と云う、柱の上に載せた太い桁を店の前面に何本も突き出し、そこに軒や屋根を載せる建築法で建てられている。軒先の白いのれんと出桁は、古の商家の象徴である(写真14)。
いわい半纏(写真15)いわい半纏(写真15)
交流館内に「いわい半纏(はんてん)」が飾られていた。デザインの大胆さ、その色遣いに漁師たちの心意気を感じた(写真15)。
石組の水路(写真16)石組の水路(写真16)
なりわい交流館の前に、石組の水路が流れている。石組と川底の苔の対比がおもしろい。これらも「城まちもよう」に採用しよう(写真16)。
「笑門」のしめ飾り(写真17)「笑門」のしめ飾り(写真17)
なりわい交流館の並びにある老舗和菓子屋「伊勢屋」の軒下に「笑門」のしめ飾りが掲げられていた(写真17)。「笑門」は、伊勢地方で一年間玄関軒下に飾るそうだ。小田原には北条早雲、即ち伊勢新九郎の「伊勢」にちなむ店名が多い。伊勢屋もその一つであるが、伊勢地方の風習にあやかっているのだろう。伊勢屋の名物「豆大福」をお土産にして、この日のまちハントを終えた。

◆深野 彰 記 ◆

2020/11/10 14:29 | 生活

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