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2020年11月12日(木)

◆市民会館閉館記念シリーズ(二)◆

(写5)開館近い大ホールの外観(市デジタルアーカイブより)(写5)開館近い大ホールの外観(市デジタルアーカイブより)市民会館大ホールの建築デザインから見た魅力 ②

3.大ホールの建築デザインの特徴

昭和37年(1962)7月28日に開館した小田原市民会館大ホールの設計者は、「創和建築設計事務所」、建設業者は「(株)熊谷組」であった。大ホールは東側、即ちクランクする国道1号線側が正面となるようにデザインされている(写真5)。

(写真6)3階のスリット窓(写真6)3階のスリット窓正面は1階も2階も右から左まで全てガラス面で、ル・コルビュジエの唱えた建築5原則の「横長の窓」となっている。又、正面の3本の柱はピロティ構造にはなっていないが、外壁から浮き出た柱が1階から2階へ突き抜けてピロティのように見え、更に、3階外壁には柱の両側に細長いスリット窓を入れることで、建物全体に縦の直線が強調されてスマートである。3階は2階席上段への入口となるのだが、観客も滅多に行くことはない場所である。しかし、そのロビーに立ってみれば、細長い窓から射し込む光が天井と床に拡散して、微妙な陰翳を作り出していることに気付くだろう(写真6)。3階の狭いロビーにどう光を導くか、を設計者はいろいろ考えたはずである。そして、それは外観と室内への光の効果の両面性を考えた優れたデザインとなったのである。

また、1階と2階の間の外壁には張り出した軒を巡らして横方向の直線を形成し、建物に躍動感と安定感を与えている。これらの直線的で立体的な外観デザインは、県立音楽堂のデザインと極めて類似している。この外観の類似性から、小田原市民会館大ホールはル・コルビュジエの建築5原則の影響を強く受けて設計されたと考えたくなる。
 

(写真7)ガラス窓からコンクリート壁へ変更(写真7)ガラス窓からコンクリート壁へ変更しかし、現在の大ホールの外観からは、その建築デザインの魅力を伺い知ることは難しい。その理由の一つは、大ホール正面の前に本館が建ったことにある。もはや本館建設計画の立案者が意識したか、しなかったかを知るすべもないが、大ホールは本館の附属建物のようになってしまったのである。もう一つは、正面1階右端のガラス窓が、耐震補強工事のためガラスからコンクリートの壁へと変更されたことである。この工事によって、建物正面の横長ガラス窓のイメージの残渣すら、跡形もなく消え去ってしまったのである(写真7)。
 

(写真8)大ホール1階の赤い壁画(写真8)大ホール1階の赤い壁画4.大ホールの赤と青の壁画

入口を入ると正面に客席への扉が4つ並んでいる。ホワイエの壁は真紅に塗られている(写真8)

(写真9)壁画のサイン(写真9)壁画のサイン県立音楽堂の入口の正面の壁も真赤である。大ホールホワイエの真紅の壁に、ル・コルビュジエの色彩感覚と同じものを感じてしまう。この真紅の壁には、黒い雲のようなデザインが描かれている。この壁は単に赤く塗られているのではなく壁画となっているのだ、と気付く人はほとんどいない。壁画の右側下に「YASUSHIRO-NISHIMURA」と云う作者のサインと、「1962-7」の年号が残っている(写真9)。1962年7月は大ホールの開館年月である。壁画の作者「西村保史郎」とはどのような人物なのだろうか。西村保史郎は大正4年(1915)東京に生まれ、太平洋美術学校に学び、「主体美術協会」の創立に携わった。町田市の玉川学園にアトリエを設け、油絵作品の他、絵本や図鑑の挿絵を数多く描いた。平成27年(2015)に100歳で亡くなった。

(写真10)大ホール2階の青い壁画(写真10)大ホール2階の青い壁画大ホールの大壁画を描くことになった経緯の記録を見つけることはできなかった。主体美術協会の関係者も市民会館に保史郎が壁画を描いていたことを知らないそうだ。もう少し早く調査を始めていれば、ご本人から経緯を伺うことができたのだが、残念である。

2階の壁画も西村保史郎の作で、相模の海をイメージしたと思われる群青色である(写真10)。本館が建たなければ、国道1号線側からは大ホールの建物正面が見えて、1・2階の全面ガラス窓を通して1階壁の真紅と2階壁の群青の鮮やかな色彩の対比を眺めることができたことだろう。

(写11)大ホール開館当時の明るい1階ホワイエ(写11)大ホール開館当時の明るい1階ホワイエ5.ホワイエの光差し込むデザイン

開館当初の写真を見ると、大ホールの1階ホワイエは正面の全面ガラス窓から陽光が射し込み、明るく輝いていた(写真11)。しかし、現在の入口前は渡り廊下の床底となっていて、ホワイエに外光が入る時刻はなく、一日中暗い。入口すぐ左側の部屋は、現在は事務室となっているが、開館当初の写真を見るとクロークだったようで、劇場らしかった。当時の床面も白地に濃紺の直線が引かれてすっきりとしたデザインとなっていたが、今ではPタイルが貼られている。色違いのタイルがまだら模様に混じっているが、意図的にデザインされたものか、補修なのかよく分からない(写真12)。その非デザイン性からは、単なる色違いのタイルを貼った補修なのだろう。開館当初のホワイエに置かれていた什器備品もお洒落なデザインである(写真11)。
 

(写真12)現在の大ホール1階ホワイエ(写真12)現在の大ホール1階ホワイエ

(写真13)開館当初の大ホール2階のロビー(写真13)開館当初の大ホール2階のロビー現在は禁煙であるが、開館当初はロビーに灰皿が置かれていた。その灰皿のデザインも三本足がモダンである。観葉植物の鉢も日を浴びて、南国風の生き生きとした雰囲気を醸し出している。階段下に置かれた長椅子の丸いクッションが可愛いらしい。その長椅子には「小田原銀行協会」と寄贈者の名が白文字で書かれていた。地元の企業もまた市民会館の完成を祝って、長椅子を寄贈したのだろう。小田原市の市民も企業も、市を挙げて祝賀していた当時の開館歓迎ムードを彷彿とさせてくれる。

小田原市民会館大ホールの2階ロビーも、1階ホワイエと同じように光にあふれて明るく輝いた(写真13)。


 

(写真14)現在の大ホール2階のロビー(写真14)現在の大ホール2階のロビー全面ガラス窓から射し込む眩い光が、ロビーの青い壁画を輝かせていたことを今では想像すらできない。それは、現在の2階ロビーもまた、本館を繋ぐ渡り廊下のため、外光が直接入ることがないからである。天井灯を点けなければ、薄暗く感じるほどである(写真14)。

外観デザインと云い、室内の配色デザインと云い、そして、外光が注ぎ込む明るい開放的なロビーと云い、小田原市民会館大ホールは、ル・コルビュジエから前川國男へと流れる建築デザイン・コンセプトから大きな影響を受けて設計されたと考えて間違いないだろう。

本シリーズの最後である次回は、サイトレイアウト設計の問題について考えてみたいと思う。

深野 彰 記

2020/11/12 15:23 | コミュニティ


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