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2021年04月02日(金)

ありがとう市民会館まつり - 1 「市民会館アーカイブ調査と『市民会館記録展』」

写真1:ありがとう市民会館まつりのチラシ写真1:ありがとう市民会館まつりのチラシ 今年7月末に小田原市民会館は59年の歴史に幕が下りる。「小田原市民会館閉館記念事業」の一環として、その歴史を振り返る「みんなの市民会館思い出展」が、3月24日から28日の5日間に亘って開催された(写真1)。思い出展では、「市民会館記録展」、「市民会館の絵画たち展」、「ありがとう市民会館美術展」が開催された。「市民会館記録展」は「市民会館思い出アーカイブ隊」、「市民会館の絵画たち展」は「おだわらミュージアムプロジェクト」、「ありがとう市民会館美術展」は「西相美術協会」がそれぞれ主催した。

1.思い出アーカイブ隊の活動経緯

 市民会館の半世紀以上に亘る活動の歴史は、市民の記憶の中に残っているが、残念ながら、それは見える形で遺されてはいない。市民会館閉館記念事業の企画の中で、その記録を掘り起こそうとする活動が芽生え、一昨年秋に「市民会館思い出アーカイブ隊」が結成された。メンバーは小田原文化レポーターなどの市民である。その活動には、文化部文化政策課課員から想いのこもったバックアップをいただいた。

写真2:市民会館思い出アーカイブ隊写真2:市民会館思い出アーカイブ隊 そもそも「市民会館はなぜ建てられたのか?」と云う素朴な疑問があった。それを探るためには、当時の小田原市が置かれていた社会状況や、文化的背景を探る必要があった。手分けして調査が始まった。開館当時から音楽イベントを主催していたのが、会員制の「労音」であった。労音は「勤労者音楽協議会」の略称で、1949年に結成され、70年代には会員数60万人を超えた。市民会館大ホールの完成前は、小中学校の講堂が会場として使用されていた。小学校の講堂に多くの著名音楽家が出演していたが、音楽好きの市民たちは本格的な音楽ホールの建設を熱望していたのである。労音主催の音楽イベントは、池田隊員が調べ上げて長大な年表を作成した。

 「広報おだわら」はデジタル化されているので、当時の市政や小田原市を取り巻く状況を調べることができた。大ホールが建設された昭和37年(1962)は、東京オリンピックの開催を控えた日本が本格的に高度経済成長期に突入する時代であった。小田原市の公共設備投資も盛んに行われ、同年1月に「小田原市新市建設計画」が議決されて、10年間で120億円が投資されることとなったとある。この年度の市予算は31億7千万円であるから、高度経済成長期には、いかに多額の資金が投資されたかが分かる。下水道処理場、高田浄水場、市営斎場、久野霊園などが建設され、新幹線小田原駅もできた、と資料を紐解いて分かった。

写真3:シャム猫カンパニー倉庫の調査写真3:シャム猫カンパニー倉庫の調査 市民会館で開催された各種イベントの資料は、様々な場所に分散して保管されている。「シャム猫カンパニー」は、労音活動が衰退した後、音楽イベントを数多く主催してきた。シャム猫の倉庫に大量のポスターやチケット・カタログが保管されていたので、資料を写真に収めた(写真3)。

写真4:市民会館本館の保管資料の調査写真4:市民会館本館の保管資料の調査 また、市民会館本館の4階一室や屋上ペントハウス、更に大ホール中継室などにポスターやカタログなどが保管されていた。それらの資料を引っ張り出して調べ上げる作業は、まさしく市民会館の歴史の発掘作業であった(写真4)。

 市民会館開館時の小田原市長は、鈴木十郎氏であった。鈴木市長は歌舞伎座支配人の経歴を持ち、松竹と太いパイプがあった。大ホールのこけら落としには、当時の歌舞伎俳優が多数馳せ参じた。開館後も大ホールでは、毎年歌舞伎公演が開催されてきた。地方でこれほどまで歌舞伎公演が盛んな都市も珍しいだろう。歌舞伎十八番「外郎売」の「ういろう」が、小田原で500年の歴史を重ねてきた背景もあるのだろう。記録展では、歌舞伎のポスター、歌舞伎俳優の色紙などを多数展示することができた。

 諸星隊員は、「8時だヨ!全員集合」が大ホールで延べ10回も公開録画された情報収集に奔走した。記録展では、TBSテレビやドリフターズの所属事務所(イザワオフィス)のご協力により、静止画ではあったが当時の様子を再現できた。また、準備段階で「J:COM」の取材があり、資料発掘の様子がテレビ放映され、アーカイブ隊の活動の様子や記録展の宣伝となった。

写真5:記録展の展示準備写真5:記録展の展示準備 アーカイブ隊員たちは、展示資料を精魂込めて集め、整理し、まとめ上げた。3月23日は展示準備の日であった。発掘したポスター、色紙、写真パネルや作ってきた資料などを掲示する作業を、丸一日かけてアーカイブ隊員総出で行った(写真5)。

2.記録展の開催

写真6:記録展の展示会場の風景写真6:記録展の展示会場の風景 3月24日水曜日から思い出展が開幕した。連日、大勢の市民が観覧に訪れていただいた(写真6)。市民会館に出演したりコンサートを観に来たりしたことがある、とわざわざ大船や平塚から足を運んでくださった市外の方々も来場されていた。

写真7:3月25日神奈川新聞の記録展の記事写真7:3月25日神奈川新聞の記録展の記事 初日の3月24日に神奈川新聞の取材があり、翌日3月25日朝刊に大きく掲載された(写真7)。この記事で、神奈川県全域へ市民会館記録展の開催が知られたのだろう。改めて、市民会館が小田原市民だけではなく、神奈川県全域の幅広い人々の思い出となっていることが分かった。

写真8:歌舞伎関連資料展示写真8:歌舞伎関連資料展示 3月28日を最終日に、無事に記録展の展示を終了することができた。来場者の方々に「これらの資料はどうされるのですか?」と度々尋ねられた。資料類は市役所に所属する物であるため、その処置を思い出アーカイブ隊で決められるわけではない。しかし、このまま、廃棄処分としてしまうと、永遠に記録として残らないことは明らかである。やはり、貴重な物品は保管し、書類類はデジタル化していくことが望ましい姿であろう。思い出アーカイブ隊では、記録展は終了したが、これからも資料の行く末を見届けるまで継続的に活動を続けていこう、との話が出ている。

写真9:馬琴の和歌写真9:馬琴の和歌 市民会館本館の倉庫で、池田隊員が貴重な資料を発掘した。小田原では江戸時代から「桐座」が、歌舞伎の公演を行っていた。それらに関連すると思われる資料の一つとして、滝沢馬琴の和歌が書かれた短冊が発掘された(写真8)。発見した池田隊員は、「これは継続して調べていきたい」と意気込んでいる(写真9)。

 小田原市には、まだまだ貴重な資料や物品が眠っている。小田原市民会館は、そのような貴重な文化遺産資源の鉱脈でもあるのだ。文化遺産を単に古い資料と片付けてしまうのではなく、歴史的な小田原文化を再発見し、再評価して、それを活用していく視点が重要であると思う。小田原市民の先人たちが遺した文化の足跡を辿り、そこから先人の心を学び取って新しい三の丸ホールでの市民活動に生かしていければ、真に小田原市民会館の歴史が新ホールに引き継がれるようになると思うのである。

2021/04/02 16:25 | 歴史


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