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2022年06月22日(水)

宗我神社の下中座公演「曽我物語」

(写真1)大木に包まれた「宗我神社」(写真1)大木に包まれた「宗我神社」
 宗我神社は、小田原市東部の曽我谷津の地に、およそ千年前の創建された由緒ある神社で、曽我丘陵の南麓に位置しています。二の鳥居の脇には、樹齢七百年とされるけやきの御神木がそびえています。社殿の左右にも大木が包み込むように立って、境内に幽玄な雰囲気を醸し出しています(写真1)。
 
(写真2)傘焼きまつりのチラシ(写真2)傘焼きまつりのチラシ
宗我神社は、曽我郷六ヶ村の総鎮守でした。保元3年(1158)に焼失しましたが、永万元年(1165)に曾我祐信(そがずけのぶ)によって再建されました。曾我氏は曽我庄の領主ですが、周囲は中村党の所領に囲まれていた小さな領地でした。中村党は平頼尊を先祖とする平氏武士集団です。祐信は源頼朝挙兵後に頼朝へ従い、鎌倉幕府の御家人となりました。そして、曾我祐信は言わずと知れた曽我五郎・十郎兄弟の養父です。
 
そのような曽我兄弟に由緒のある宗我神社の境内で、相模人形芝居 下中座による「曽我物語 十郎五郎出立の段」が5月21日(土)に上演されました。この公演は、「曽我兄弟遺跡保存会」主催の「傘焼きまつり」の行事の一部です(写真2)。
(写真3)パンフレット表紙(写真3)パンフレット表紙
傘焼きまつりは、曽我兄弟の仇討ちが行われた夜にちなんでいます。源頼朝は家来たちを集めて、富士の裾野で大規模な巻狩りを行いました。そこには、曽我兄弟の父の仇である工藤祐経(くどうすけつね)も参じていました。これを知った兄弟は、仇討ちの絶好の機会と夜を待ちます。すると、月が雲に隠れてにわかに豪雨となり、暗闇に包まれました。そこで兄弟は傘に火をつけて松明代わりにして、見事本懐を遂げた故事から傘焼きまつりが生れたそうです。和傘には油を引いた和紙を用いるため、雨の中でもよく燃えたのでしょう。
当日は朝から雨が降っていて、公演開催が心配でした。今にも降り出しそうな空模様でしたが、幸いにも宗我神社に着いた頃には曇り空になっていました。公演は宗我神社の境内にある神楽殿で行われます(写真3)。
(写真4)満席の会場(写真4)満席の会場
二の鳥居を入って左側に見える銅ぶき屋根の立派な舞台が神楽殿です。下中座の相模人形芝居は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。その公演活動には多くのファンがいて、開演前には会場に用意された席は全て埋まっていました(写真4)。
(写真5)林座長の挨拶(写真5)林座長の挨拶
3時半から公演関係者や小田原市長の挨拶のあと、林美禰子下中座座長の挨拶があり、公演に至るまでの苦労話をされました(写真5)。
(写真6)箱王丸は朝日丸に相手に剣術の稽古(写真6)箱王丸は朝日丸に相手に剣術の稽古
本公演の「曽我物語―十郎五郎出立の段」は、下中座オリジナル脚本です。鎌倉時代後半に成立したと云われる『曽我物語』を基にして、人形芝居のために新たに書き下ろされたそうです。更に、人形も新たに6体も制作するなど、5年間もかけて作り上げてきた舞台でしたが、令和2年に初上演する予定が、コロナ禍で延期され続けてしまい、ようやく公演にこぎ付けられたそうです。その間の座長を始め団員たちは、気持ちを切らさずに準備に磨きをかけてきたご苦労は大変だったことでしょう。

曽我兄弟の仇討ち場面が描かれた神楽殿の幕が引かれて、いよいよ開幕です。舞台には黄緑色の水干を着た箱王丸と白い水干の小天狗・朝日丸が登場します。箱王丸は箱根権現に稚児として預けられていました。箱王丸は夜な夜な箱根を抜け出して、曽我の山彦山で朝日丸相手に剣術の稽古に励んでいました。朝日丸は箱王丸の木刀をひょいひょいとかわして、木の枝に飛び移ってしまいます(写真6)。
(写真7)朝日丸が天狗の団扇で刺客を追い払う(写真7)朝日丸が天狗の団扇で刺客を追い払う
さすが天狗の子だけあって、身のこなしは軽々と人間に及ぶものではありません。そんな朝日丸を相手に、箱王丸は腕を磨いていました。
文楽は、人形を黒子が後ろから操るため、舞台面から離れることは通常はありません。しかし、「曽我物語」では、小天狗が縦横無尽に飛び回る全く新しい演出でした。
箱王丸が稽古をしているところへ、兄の十郎が走り込んできます。大勢の工藤祐経の刺客に追われていたのです。朝日丸は、天狗の団扇で大風を起して、刺客たちをきりきり舞いにして追い払います(写真7)。
(写真8)大天狗が現れる(写真8)大天狗が現れる
兄・十郎は、父の仇を打とうと箱王丸を誘いますが、箱王丸はなかなか心が定まりません。そこへ、山彦山の大天狗が、小天狗・夕日丸を連れて現れます(写真8)
(写真9)天狗たちが団扇で刺客たちを退散させる(写真9)天狗たちが団扇で刺客たちを退散させる
大天狗は仇討ちに躊躇する箱王丸の心の中を見通していました。そこへ、再び刺客たちが襲ってきます。大天狗と小天狗は天狗の団扇で、またもや刺客たちを吹き飛ばしてしまいました(写真9)。
(写真10)光の珠に導かれて山を下りる兄弟(写真10)光の珠に導かれて山を下りる兄弟
舞台狭しと飛ばされていく刺客たちの縦横無尽の動きもまたダイナックな文楽の新境地でした。度重なる刺客の来襲で、箱王丸の心は決まりました。大天狗は小天狗たちに光の珠となって二人を見送るように命じました。朝日丸と夕日丸は光の珠となって夜道を照らし、道案内しました。(写真10)
(写真11)仇討ちの決意を秘めて旅立つ兄弟(写真11)仇討ちの決意を秘めて旅立つ兄弟
麓に無事辿り着くと、光の珠は山へと消えていきました。五郎十郎の兄弟は、仇討ちの決意を心に秘めて旅だって行く場面で幕となりました(写真11)。
(写真12)黒子たちを紹介する林座長(写真12)黒子たちを紹介する林座長
人形だけではなく、光の珠もLEDを仕込んだ下中座のための物だそうです。長い竿の先に珠取り付けて動かすと、竿が揺れて、あたかもゆらゆらと人魂(ひとだま)のように見えました。公演最後まで雨は降らずに、無事舞台を終えることができました。そして、再び幕が開いて出演人形と黒子たちが勢ぞろいすると、林座長が黒子たちを紹介しました(写真12)
それにしても、3月の三の丸ホールでのパンフレット表紙「涅槃に行った猫」の公演から間を置かずに、新作劇を上演するとは、下中座のエネルギーには敬服してしまいます。
更に、“Jazz Bunraku”に続いて、「曽我物語」では極めて動的な動きを取り入れるなど、これまでの伝統的人形浄瑠璃の殻を打ち破る画期的な取り組みをした下中座のメンバーの努力は、並大抵のものではなかったと推察します。これからも下中座のクリエイティブな創作活動に目が離せません。
◆ 深 広目 記 ◆

2022/06/22 14:38 | 伝統芸能

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