(写真3)パンフレット表紙傘焼きまつりは、曽我兄弟の仇討ちが行われた夜にちなんでいます。源頼朝は家来たちを集めて、富士の裾野で大規模な巻狩りを行いました。そこには、曽我兄弟の父の仇である工藤祐経(くどうすけつね)も参じていました。これを知った兄弟は、仇討ちの絶好の機会と夜を待ちます。すると、月が雲に隠れてにわかに豪雨となり、暗闇に包まれました。そこで兄弟は傘に火をつけて松明代わりにして、見事本懐を遂げた故事から傘焼きまつりが生れたそうです。和傘には油を引いた和紙を用いるため、雨の中でもよく燃えたのでしょう。
当日は朝から雨が降っていて、公演開催が心配でした。今にも降り出しそうな空模様でしたが、幸いにも宗我神社に着いた頃には曇り空になっていました。公演は宗我神社の境内にある神楽殿で行われます(写真3)。