写真2:市民会館思い出アーカイブ隊 そもそも「市民会館はなぜ建てられたのか?」と云う素朴な疑問があった。それを探るためには、当時の小田原市が置かれていた社会状況や、文化的背景を探る必要があった。手分けして調査が始まった。開館当時から音楽イベントを主催していたのが、会員制の「労音」であった。労音は「勤労者音楽協議会」の略称で、1949年に結成され、70年代には会員数60万人を超えた。市民会館大ホールの完成前は、小中学校の講堂が会場として使用されていた。小学校の講堂に多くの著名音楽家が出演していたが、音楽好きの市民たちは本格的な音楽ホールの建設を熱望していたのである。労音主催の音楽イベントは、池田隊員が調べ上げて長大な年表を作成した。