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2017年01月13日(金)

小田原北条氏100年の領国経営黒田基樹(駿河台大学)

満員の参加者に講演する黒田基樹先生満員の参加者に講演する黒田基樹先生
まえがき

 歴史学者の黒田基樹先生の公開講座「小田原北条氏100年の領国経営」があるとのことで参加させて頂きました。
 講演テーマから嘸かし難しい内容となるかと思い緊張していましたが、導入部はまずNHKの大河ドラマ「真田丸」の時代考証担当者としてのエピソードの紹介があり、この様な入り方で 満員の参加者に講演する黒田基樹先生会場が和んだ感じがありました。
 なお、この講座は平成28年度キャンパスおだわら歴史講座「”北条五代”絆で築いた百年を学ぼう」の一講座でもあります。

主   催 小田原市文化部生涯学習課
開催日時 平成28年10月23日(日) 13:00~15:00
開催場所 川東タウンセンターマロニエホール

黒田基樹先生の紹介

 黒田先生は、現在、駿河台大学教授(博士)であり、ご専門は日本の戦国時代・織豊時代史で、相模北条氏や甲斐武田氏に関する研究を展開しています。歴史学会などでの活動、『千葉県史』や『横須賀市史』の編さん、また、NHK大河ドラマ「真田丸」等の時代考証担当を務めています。
講演概要
1.民政に長けた北条氏
 北条氏は、虎朱印を捺した印判状という文書様式を採っており、他の戦国大名と比べて、文書が多く残されていることから、数ある戦国大名のなかでも、領国支配や民衆支配のあり方がもっともよくわかる大名である。戦国大名の領国支配といった場合、必ずといっていいほど北条氏を事例にして語られる。飢餓と戦争が日常化しており、これらを克服していくための仕組であった。

2.村との対峙
(1)戦国大名と村との関係

 戦国大名・国衆の地域権力は、「村」という民衆の生産組織を基 盤にして成立した。そのため大名の民衆支配は、すべて村を相手に行われた。村は、法人格として存在し、一定領域を占有し、構成員を認定し、それに対して徴税権、立法権、警察権などを行使し、個々の構成員の私権を制約する公権力として存在した。さらに構成員を中心に独自の武力を保持し、隣接する村々などの外部に対して、戦争権を行使する自立した政治団体ともなる。
 戦国大名は村の平和と安全を保護し、村はその対価として税を負担する社会的契約の関係を保って、村の負担も、お互いの契約によって取り決められた。大名や城主との交渉は、名主を通じて行われた。村による税負担の取り決めの基準は、検地という耕地面積調査による村高の決定と、棟別改めによる棟別間数の決定により定められた。

(2)課税額の決定方法
 検知は、田畠の面積に村ごとに統一された貫高(田は一反500文、畠は165文。)を乗じ、それぞれの分銭を算出、その合計が村高となった。そして村高から、公事免(夫役などに対する手当)や村寺や村鎮守の維持費用、名主などの役料などが控除され、年貢高となる。控除額はお互いの交渉を通じて決定され、合意に達すると、村から、規定の年貢高を請け負う「請負の一礼」文書が提出された。
 棟別改めは、屋敷か小屋であるかの識別を経る。奉公に供された屋敷地などは、課税を免除うえで貫高を乗じ棟別銭を決定し、請負の文書が提出された。
 これら年貢や公事(年貢以外の税金)の税金は、村として請け負っているので、村人は村の年貢負担を分担する。この村人を百姓といった。

(3)大名の「国役」
 北条氏では直轄領や給人領の村に賦課した租税を、「国役」とか「公方役」と称している。「国役」には、耕地・屋敷を単位に賦課した役銭と労働力として徵発した夫役があり、反銭(田の貫高)、懸銭(畠の貫高)、屋敷地を対象に役銭(棟別銭)を賦課し、さらに村高をもとにした普請役(城郭普請のための労役)や夫役(戦場への荷物運搬役などの陣夫役)を賦課していた。戦争の恒常化により、普請役や陣夫役の負担も恒常化されたのが戦国時代の特徴である。一方においては他国の侵略を防ぐ、平和のための負担といえる。

(4)課税額決定の実際
 北条氏と村との年貢・公事という税額の交渉の具体的な例が、班目郷(神奈川県南足柄市)に残されている。作柄調査と田畠面積の検見を村から要請し、村高と控除分や新たな耕地分(無税扱い)を高度な政治交渉の結果で決めたとのことである。

3.整然とした制度への道
(1)伊勢宗瑞の改革

 初代の伊勢宗瑞は、虎朱印状という新しい文書様式の創出した。その時の改革の中心は、直轄領の村に、不正を働く役人がいたら、それを直接、北条氏に訴訟する、目安制の導入にある。

(2)氏康・氏政の改革
 三代氏康から四代氏政の時に、戦国大名としての在り方を大きく変革する構造改革が行われた。中でも大きな意味を持ったのは、目安制を全面展開し、北条氏への直接訴訟権も認めることだった。個々の領主が存立するために、支配する所領の村の意向を大名から規定されるようになってい、当初は役人や領主の不正を告発するために導入されたが、結果として、村の訴訟も受け付け、頻繁に行われていた村同士の用益争いを、大名が採決する道が開かれた。領主への抵抗なども、すべて大名判断によって、平和的に解決される仕組みが作られた。これが近世の平和をもたらす原動力となった。
 また、租税の納入を米・麦などの生産物によることを認め、そして生産物と銭貨の相場の変動を毎年「納め法」という相場に基づいて換算率を規定した。穀物の計量を村側で行うことも規定した。

4.北条氏の特徴
 北条氏は、とくに三代氏康が中心になって、耕地面積に応じた課税体系、目安制、村役人制度、租税の現物納、租税の納入方法など、村支配における多方面にわたる仕組みを作り上げた。
 他の大名の甲斐武田氏・越後上杉氏・駿河今川氏・安芸毛利氏などは、領国内に金銀山があり、それが財政を支えていた。また上杉・今川・毛利氏などは流通による収益も多く、さらに毛利氏を含めて豊後大友氏・薩摩島津氏などの西海に面した大名は、外国との交易による収益も多かった。しかし、北条氏には鉱山や流通の収益と言った「あぶく銭」のような収入が見込めない状況にあった。それゆえに北条氏は、領国内の村からの徴税を基本とした財政を構築せざるを得なかった。
 豊臣政策による「天下統一」の後は、豊臣政権、次いで江戸幕府という中央政権が他大名の公益の収入を管轄することになり、大名は領国内の徴税を元に財政を組み立てざるをえなくなり、かつて北条公益の公益の他大名の氏が構築した支配体制と同様なものを採用していくことになった。
熱心に講義を聴く受講者熱心に講義を聴く受講者
5.参考
「小田原北条氏100年の領国経営」本講座の配布テキスト
黒田基樹 著『百姓から見た戦国大名』(筑摩書房、2006 年)
黒田基樹 著『戦国大名政策・統治・戦争』(平凡社、2014 年)
黒田基樹 著『戦国北条氏五代』(戎光祥出版、2012 年)

あとがき
 講演が北条氏についての権威者黒田先生ですので募集定員一杯の受講者が集まり、一言も聞き漏らすまいとの熱心に受講していました。私を含めて受講者は北条氏を理解する上で有益な講義となったことでしょう。(ひろし君・記)

2017/01/13 16:09 | 歴史

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