古文書・有浦家文書 878点 (ありうらけもんじょ)
概説
有浦家は、唐津で大久保氏に仕えました。藩政資料(唐津時代~幕末)のほか多数の文書類が保存されますが、これは旧小田原藩士所蔵資料中最大のものです。
有浦家では兵学の研鑽に励んだ当主が多く、兵学書に類した資料が多数保存されています。
さらに、藩士が日常勤務する際の心得や、各時期の当主の記録類が多数残されており、いずれも小田原藩政を知る上で貴重な歴史資料です。
とりわけ、石垣山城跡を調査して作成した「太閤御陣城相州石垣山古城跡 享保五年庚子忠英君依命再改之図(たいこうごじんじょうそうしゅういしがきやまこじょうあと きょうほうごねんかのえねただふさぎみのめいによりさいあらためのず)」〔写真〕は重要な資料です。
この絵図は、享保5年(1720)、藩主大久保忠方(忠英)の代に再度作図されたもので、北及び西方の石垣に崩壊の跡が記されていますが、これは元禄16年(1703)の元禄大地震によるものと推定され、江戸時代中期における石垣山城跡の現状が記録されたものとして、貴重なものといえます。
なお、有浦家の中世資料については佐賀県立図書館に寄贈され、佐賀県の指定重要文化財になっています。
有浦家では兵学の研鑽に励んだ当主が多く、兵学書に類した資料が多数保存されています。
さらに、藩士が日常勤務する際の心得や、各時期の当主の記録類が多数残されており、いずれも小田原藩政を知る上で貴重な歴史資料です。
とりわけ、石垣山城跡を調査して作成した「太閤御陣城相州石垣山古城跡 享保五年庚子忠英君依命再改之図(たいこうごじんじょうそうしゅういしがきやまこじょうあと きょうほうごねんかのえねただふさぎみのめいによりさいあらためのず)」〔写真〕は重要な資料です。
この絵図は、享保5年(1720)、藩主大久保忠方(忠英)の代に再度作図されたもので、北及び西方の石垣に崩壊の跡が記されていますが、これは元禄16年(1703)の元禄大地震によるものと推定され、江戸時代中期における石垣山城跡の現状が記録されたものとして、貴重なものといえます。
なお、有浦家の中世資料については佐賀県立図書館に寄贈され、佐賀県の指定重要文化財になっています。
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課 文化財係
電話番号:0465-33-1717