古文書・平塚家文書 290点 (ひらつかけもんじょ)
概説
平塚家は、旧堀之内村の名主(なぬし)を務めた家で、本文書には、同村の江戸時代の概況を知る資料がほぼ揃います。
同村は小田原宿に馬や人足を供出する使役を負う助郷村の一つで、特に小田原宿に対する助郷関係の文書は、同村ばかりでなく、小田原藩の助郷村75か村の名主らが連名して訴えたものが含まれ、重要です。
旧堀之内村は、藩主大久保忠隣(ただちか)が慶長19年(1614)に改易となり、村の約半分が旗本室賀(むろが)氏の知行地、続いて幕府領となりました。
その際、平塚家は室賀氏から諸役免許の特権を得ています。
後に大久保氏の知行地に戻ると、その時の特権を継承しますが、小田原藩から諸役免許の由緒の問い合わせが度々なされたことが分かります。
本文書中には、小田原藩の藩主が稲葉氏から大久保氏へと交代になった際の事務引継書である「御引渡」の写しがあります。
原本は、大久保氏の所蔵とみられ、藩士や領内の名主たちが何らかの機会に写したものの一つと思われます。
また、年貢割付けの文書は、稲葉氏以前と以後のものが残されており、両者の対比は興味深いものとなっています。
このほか、稲葉氏時代以後、明治初年までの田地売買証文が多数残るのも特色の一つです。
同村は小田原宿に馬や人足を供出する使役を負う助郷村の一つで、特に小田原宿に対する助郷関係の文書は、同村ばかりでなく、小田原藩の助郷村75か村の名主らが連名して訴えたものが含まれ、重要です。
旧堀之内村は、藩主大久保忠隣(ただちか)が慶長19年(1614)に改易となり、村の約半分が旗本室賀(むろが)氏の知行地、続いて幕府領となりました。
その際、平塚家は室賀氏から諸役免許の特権を得ています。
後に大久保氏の知行地に戻ると、その時の特権を継承しますが、小田原藩から諸役免許の由緒の問い合わせが度々なされたことが分かります。
本文書中には、小田原藩の藩主が稲葉氏から大久保氏へと交代になった際の事務引継書である「御引渡」の写しがあります。
原本は、大久保氏の所蔵とみられ、藩士や領内の名主たちが何らかの機会に写したものの一つと思われます。
また、年貢割付けの文書は、稲葉氏以前と以後のものが残されており、両者の対比は興味深いものとなっています。
このほか、稲葉氏時代以後、明治初年までの田地売買証文が多数残るのも特色の一つです。
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課 文化財係
電話番号:0465-33-1717