古文書・長谷川家文書 61点 (はせがわけもんじょ)
概説
長谷川家は、旧曽我谷津村の名主(なぬし)を務めた家で、明治時代から大正時代にかけて活躍した政治家長谷川豊吉(とよきち)も同家の出身です。
本文書は、江戸時代の農村を知る基本資料がまとまっています。
天正19年(1591)・万治2年(1659)の検地帳や村明細類などが揃い、江戸初期から明治までの曽我谷津村の変遷をたどることができます。
また、藩からの触書(ふれがき)7通が含まれており、倹約令が中心であるが、新田開発の奨励の触書も含みます。
特に、小田原藩主が稲葉氏から大久保氏に代わる際作成された貞享3年(1686)の年号が入る旧曽我谷津村の村明細帳は、田畑の等級別、反別、年貢関係が詳細に記されています。
曽我祐信(そがすけのぶ)屋敷跡や石塔など村内の名所旧跡も記されており、興味深い内容となっています。
さらに、安政2年(1855)の「小田原藩主大久保加賀守之禄高明細書」は、藩領の朱印高、年貢割付高を記し、城付地(しろつけち)では戸数も付記されており資料的価値が高いです。
このように長谷川家文書は、小田原藩領の地方資料として重要なものです。
本文書は、江戸時代の農村を知る基本資料がまとまっています。
天正19年(1591)・万治2年(1659)の検地帳や村明細類などが揃い、江戸初期から明治までの曽我谷津村の変遷をたどることができます。
また、藩からの触書(ふれがき)7通が含まれており、倹約令が中心であるが、新田開発の奨励の触書も含みます。
特に、小田原藩主が稲葉氏から大久保氏に代わる際作成された貞享3年(1686)の年号が入る旧曽我谷津村の村明細帳は、田畑の等級別、反別、年貢関係が詳細に記されています。
曽我祐信(そがすけのぶ)屋敷跡や石塔など村内の名所旧跡も記されており、興味深い内容となっています。
さらに、安政2年(1855)の「小田原藩主大久保加賀守之禄高明細書」は、藩領の朱印高、年貢割付高を記し、城付地(しろつけち)では戸数も付記されており資料的価値が高いです。
このように長谷川家文書は、小田原藩領の地方資料として重要なものです。
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課 文化財係
電話番号:0465-33-1717