古文書・浄永寺文書 1通 (じょうえいじもんじょ)
所在 | 鎌倉国宝館 |
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形状等 | 縦 30.7cm 横 42.2cm |
概説
浄永寺は、寺伝によると風祭の地頭、風祭大野之亮入道光秀(かざまつりおおののすけにゅうどうみつひで)が日蓮上人に帰依し、弘安3年(1280)自らの屋敷に法華堂などを建立したことに始まるとされます。
法華宗(日蓮宗)の古刹で、光秀が開基 、日行(にちぎょう)が開山とされています。
永正15年(1518)日形(にちぎょう)上人の時、現在地に移り寺を再興しましたが、これが現在の光秀山妙光院浄永寺で、この時の寺堂は北条氏綱が建立したとされます。なお、日形上人は北条氏綱の伯父と伝わります。
法華宗(日蓮宗)の古刹で、光秀が開基 、日行(にちぎょう)が開山とされています。
永正15年(1518)日形(にちぎょう)上人の時、現在地に移り寺を再興しましたが、これが現在の光秀山妙光院浄永寺で、この時の寺堂は北条氏綱が建立したとされます。なお、日形上人は北条氏綱の伯父と伝わります。

北条氏康書状(年不詳6月8日付)
画像提供:鎌倉国宝館
※無断転載を禁じます。
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この文書は、北条氏康が出陣に際し浄永寺三世の日源(にちげん)上人に合戦の戦勝祈願を申し付け、合戦に勝利することができたためそれを上人に伝え謝したものです。
氏康の花押から永禄12・元亀元年(1569・1570)頃と推定されますが、写しであり、なお検討が必要と言われています。
氏康の花押から永禄12・元亀元年(1569・1570)頃と推定されますが、写しであり、なお検討が必要と言われています。
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文化部:文化財課
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