古文書・蓮華寺文書
196点 (れんげじもんじょ)
所在 | 千代815-1 蓮華寺 |
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形状等 | 近世文書 196点 |
概説
千葉山(せんようざん)蓮華寺は江戸時代、下総国中山法華経寺(千葉県市川市)末寺で、相模国の日蓮宗寺院の触頭(ふれがしら)を務めた格の高い寺でした。
本文書は、市内の近世寺院文書として最もまとまったものです。
板橋の妙福寺(現在は合寺し御塔生福寺・おとうしょうふくじ)、東町の弘経寺(ぐぎょうじ)など宗門の触下寺院(ふれしたじいん)に関わる触書・願書が多数あります。
また、将軍家光から家茂(いえもち)まで歴代将軍の寺領朱印状の写しや、日蓮宗を信仰していた藩主大久保氏による寺領安堵状、足柄平野開発の基盤を築いた二代藩主大久保忠隣(ただちか)関連の文書や、文禄2年(1593)以来の酒匂(さかわ)川の治水や雨乞い祈願関係の文書は極めて重要です。
また、松平十郎左衛門忠勝(まつだいらじゅうろうざえもんただかつ)関係の文書もあります。忠勝は、徳川家康の小姓で、忠隣の伯母の聟(むこ)という縁から、江戸より小田原城下に移り、旧東大友村に居住しました。
この頃蓮華寺は東大友村にありました。蓮華寺には大久保忠勝の墓所(自然石)と伝わる墓があります。
本文書は、市内の近世寺院文書として最もまとまったものです。
板橋の妙福寺(現在は合寺し御塔生福寺・おとうしょうふくじ)、東町の弘経寺(ぐぎょうじ)など宗門の触下寺院(ふれしたじいん)に関わる触書・願書が多数あります。
また、将軍家光から家茂(いえもち)まで歴代将軍の寺領朱印状の写しや、日蓮宗を信仰していた藩主大久保氏による寺領安堵状、足柄平野開発の基盤を築いた二代藩主大久保忠隣(ただちか)関連の文書や、文禄2年(1593)以来の酒匂(さかわ)川の治水や雨乞い祈願関係の文書は極めて重要です。
また、松平十郎左衛門忠勝(まつだいらじゅうろうざえもんただかつ)関係の文書もあります。忠勝は、徳川家康の小姓で、忠隣の伯母の聟(むこ)という縁から、江戸より小田原城下に移り、旧東大友村に居住しました。
この頃蓮華寺は東大友村にありました。蓮華寺には大久保忠勝の墓所(自然石)と伝わる墓があります。
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課 文化財係
電話番号:0465-33-1717