古文書・津田家文書
概説
津田家の当主津田藤兵衛は、北条氏から京紺屋(きょうこうや)藤兵衛とも呼ばれ、戦国時代の末期には伊豆・相模の広範な範囲で紺屋棟梁としての立場を確立していたことが知られています。
北条氏全領国内の職頭(しょくがしら)に任ぜられ、伊豆・相模両国の藍瓶役徴収(あいがめやくちょうしゅう)の権利を北条家代々の当主より保証されていたことを証する文書が以前は6点存在していました(『相州西郡板橋村鑑』など)。
本文書群はいずれも近世、近代のもので、前期大久保氏の頃「切米50俵」を支給され、「御城御細工(おんしろおんさいく)」を弟子と共に務めていたことや、藩領内の紺屋頭としての特権を語る文書などが含まれています。
北条氏時代のものは失われていますが、江戸時代から引き続いて営業を続けた染物業関連の資料を含んでおり、小田原地方の染物業を知る上で大変貴重です。
北条氏全領国内の職頭(しょくがしら)に任ぜられ、伊豆・相模両国の藍瓶役徴収(あいがめやくちょうしゅう)の権利を北条家代々の当主より保証されていたことを証する文書が以前は6点存在していました(『相州西郡板橋村鑑』など)。
本文書群はいずれも近世、近代のもので、前期大久保氏の頃「切米50俵」を支給され、「御城御細工(おんしろおんさいく)」を弟子と共に務めていたことや、藩領内の紺屋頭としての特権を語る文書などが含まれています。
北条氏時代のものは失われていますが、江戸時代から引き続いて営業を続けた染物業関連の資料を含んでおり、小田原地方の染物業を知る上で大変貴重です。
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文化部:文化財課 文化財係
電話番号:0465-33-1717