彫刻・寳金剛寺の薬師如来坐像 1躯
(ほうこんごうじのやくしにょらいざぞう)
指定名称 | 薬師如来坐像 |
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所在 | 国府津2038 寳金剛寺 |
形状等 | 木造 一木造 玉眼 像高 60.3cm |
概説
右手は施無畏(せむい)印、左手は与願(よがん)印を結び手のひらに薬壺(やっこ)をのせる、通例の薬師如来像です。
面部、背面などに修理が施されていますが、割り矧ぎ(わりはぎ)造りの構造や浅く整えられた彫技は平安時代末期の、体部の張りのある表現や両膝間の写実的な表現は鎌倉時代の特徴を示し、これまで平安時代末期から鎌倉時代初期の造立と考えられてきた作例研究が進む中で、造立年代が12世紀半ばまで遡る可能性も指摘されています。
『国府津山寳金剛寺医王院縁起』(元禄4年・1691)により、寳金剛寺は久安元年(1145)の一海の中興当時、地青寺(じしょうじ)医王院と称し、護摩堂(薬師堂)を中心にして繁栄していたと推測されています。
面部、背面などに修理が施されていますが、割り矧ぎ(わりはぎ)造りの構造や浅く整えられた彫技は平安時代末期の、体部の張りのある表現や両膝間の写実的な表現は鎌倉時代の特徴を示し、これまで平安時代末期から鎌倉時代初期の造立と考えられてきた作例研究が進む中で、造立年代が12世紀半ばまで遡る可能性も指摘されています。
『国府津山寳金剛寺医王院縁起』(元禄4年・1691)により、寳金剛寺は久安元年(1145)の一海の中興当時、地青寺(じしょうじ)医王院と称し、護摩堂(薬師堂)を中心にして繁栄していたと推測されています。

寳金剛寺の薬師如来坐像
画像提供:鎌倉国宝館
※無断転載を禁じます。
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本像の様式は中興当時の様式と一致するところから、縁起にいう護摩堂本尊に当たる可能性が高くなっています。
本像は、市内で数少ない平安時代の仏像であり、さらに、造立年代を確認できる可能性がある点で貴重な作品です。
本像は、市内で数少ない平安時代の仏像であり、さらに、造立年代を確認できる可能性がある点で貴重な作品です。
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文化部:文化財課
電話番号:0465-33-1717