古墳時代の集落と石組遺構
現在地周辺は、国府津三ツ俣遺跡の北側に位置しています。およそ1,800年前の弥生時代後期から竪穴住居が数多く作られ、古墳時代前期にかけて大規模な集落が広がっていました。集落は、南側の国府津小学校方面へ広がっており、北側は現在地より約130mの地点で、集落の北の境を示すような溝が発見されています。溝の北側は耕作地が広がっていたようです。
説明板のほぼ正面の道路の調査では、古墳時代後期(7世紀後半)の特殊な石組遺構が見つかりました。南北9.3m×東西6.5mの範囲に河原石をぎっしりと敷き詰めた石敷きに、四角い井戸枠をもった井戸や玉砂利敷きの水路が伴っていました。井戸の周辺からは須恵器や土師器が折り重なって見つかっています。石組遺構は日常的に使用したものでなく、地元の有力者層が水場での祭祀を行うために造った場所と考えられます。
また、現在地の北側道路部分の調査では、12~15世紀代と推定される掘立柱建物群が見つかっています。検出された掘立柱建物のうち四面に庇がつく建物が主屋となり、小型の建物や井戸などが付属してひとつの屋敷地を作っていたと考えられます。主屋の規模や出土遺物から、経済力をもった土豪などの屋敷地と推測されます。この磁器の建物跡の検出は小田原市域ではなく、当時の様子を考える上で貴重な成果です。
「古墳時代の集落と石組遺構」の説明板
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