国府津三ツ俣遺跡
現在地周辺には、国府津三ツ俣遺跡が広がっています。森戸川の西側の相模湾をのぞむ低地に造られた弥生時代~江戸時代の遺跡として知られています。
現在地周辺は、弥生時代から古墳時代にかけては方形周溝墓や古墳(円墳)などが造られるお墓の空間が広がっていました。いずれも墳墓の周りにめぐらせた溝だけが見つかっていますが、古墳時代初めの前方後方周溝墓の溝からは、焼き上げる前に土器の底に穴をあけた壺形土器が出土しています。そのほか、古墳に副葬されていた可能性のある装飾品類も集落の中で見つかっています。
古墳時代や奈良・平安時代の集落からは、石錘や土錘などの魚網用のおもりと考えられる遺物が見つかっています。相模湾での漁撈活動に使用されたものと考えられます。奈良・平安時代にあんると現在地より南側で竪穴住居跡や掘立柱建物跡がみつかり、海岸に近いところにムラの中心が移ってきています。当時の人たちは遺跡周辺で育てたコメを主食にし、相模湾で得た魚のほか、畑作によるムギなどの雑穀や大磯丘陵で捕獲した陸上動物を食べていたと推定されています。
また、明治時代後半~大正時代の遺物に汽車土瓶があります。国府津駅での駅弁と一緒にお茶を販売するために使用された容器で、箱根・熱海方面の玄関口として栄えた国府津駅の賑わいをしのばせるものです。
国府津三ツ俣遺跡の説明板
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