「牧野信一」展の立看板 昨年は、小田原に生まれた作家・牧野信一(まきの しんいち)の生誕120年没後80年の年に当たりました。西海子(さいかち)小路にある「小田原文学館」では、春に特別展示『牧野信一とサクラの花びら』展、秋に特別展「牧野信一の心象風景」展など、多数の牧野信一記念展が開催されました。その一環として、小田原市立かもめ図書館で「文学資料で紐解く牧野信一」と題した講演会が開催されました。
牧野信一と小田原
牧野信一は小田原に深い縁のある作家で、明治29年(1896)11月に小田原に生まれました。明治42年(1909)に県立第二中学校(現小田原高校)へ入学しました。同期に終生の友となる元小田原市長・鈴木十郎がいました。大正5年(1916)に早稲田大学へ入学し、英文学科で学びました。卒業して時事新報社雑誌部へ就職した大正8年の11月に同人誌「十三人」を創刊し、「爪」を発表しました。この作品が島崎藤村に激賞されて、牧野信一の名が世に知られるようになります。牧野信一は、大正13年に「父を売る子」、昭和6年「ゼーロン」、昭和9年「鬼涙村」など、幻想化された郷里小田原を舞台とした神話的物語を多数発表して「ギリシャ牧野」と評価されるなど活躍しましたが、39歳の若さで自ら命を絶ってしまいました。
牧野信一は、プラトンやゲーテ、ファウストやドン・キホーテが好きだったそうです。そのような古典作品が、牧野のイメージを膨らませたと言えるそうです。後期になると、ものの見方が深くなっていきます。深刻になっていくともいえましょう。自分自身も追い込んでいってしまったのでしょう。
柳沢先生のお話で、牧野信一の作品と作風が、小田原・足柄地方の風景と牧野の周囲に集う友人たちとの関係から、牧野信一独自の世界を築かれていったのだ、と理解できました。小田原・足柄地方の豊かな自然と、そこに暮らす人々こそが、作家のイメージを紡ぎ、文化を生み出す土壌であるとの思いを感じられた講演会でした。(深野 彰 記)