興国寺城址(静岡県沼津市)
京に上った早雲は、寛正五年(1464年)ごろ、足利義視の近侍(きんじ)となっている。早雲の生まれは永享四年(1432年)なので、この年、23歳であった。当時としては、遅いスタートだった。
しかも、仕えたのが、将軍の義政ではなく、その弟の義視だったことが、早雲のその後に大きな影響を与えることになった。
義政がすんなり将軍職を義視に譲っていれば、早雲はそのまま出世して、幕府の中枢で活躍しただろう。ところが、義政と日野富子夫妻の間に義尚(よしひさ)が生まれ、義視と義尚との後継者争いが始まることによって、雲ゆきがあやしくなった。この争いが応仁の乱の引き金になったことは、周知のとおりである。
『新・北條五代記』に関する文書情報を表示しています
【出 典】広報おだわら(連載記事)
【元形態】紙媒体
【著者名】小和田哲男(静岡大学教授:歴史学)
【著作権/編集著作権】小田原市 1995-1998
1.早雲出自の謎 |
平成7年4月15日号所収 |
---|---|
2.応仁の乱と早雲 |
平成7年5月15日号所収 |
3.北條早雲の伊豆討入 |
平成7年6月15日号所収 |
4.小田原城奪取 |
平成7年7月15日号所収 |
5.二代氏網の北條改姓 |
平成7年8月15日号所収 |
6.三代氏康と合戦 |
平成7年9月15日号所収 |
7.氏康の領国経営 |
平成7年10月15日号所収 |
8.北條氏の外交戦略 |
平成7年11月15日号所収 |
9.四代氏政の時代 |
平成7年4月15日号所収 |
10.五代氏直の家督相続 |
平成8年1月15日号所収 |
11.小田原合戦 |
平成8年2月15日号所収 |
12.北條五代が残したもの |
平成8年3月15日号所収 |
【お読みください】