応仁の乱と早雲

応仁の乱と早雲

興国寺城址(静岡県沼津市)

興国寺城址(静岡県沼津市)

京に上った早雲は、寛正五年(1464年)ごろ、足利義視の近侍(きんじ)となっている。早雲の生まれは永享四年(1432年)なので、この年、23歳であった。当時としては、遅いスタートだった。

 しかも、仕えたのが、将軍の義政ではなく、その弟の義視だったことが、早雲のその後に大きな影響を与えることになった。

 義政がすんなり将軍職を義視に譲っていれば、早雲はそのまま出世して、幕府の中枢で活躍しただろう。ところが、義政と日野富子夫妻の間に義尚(よしひさ)が生まれ、義視と義尚との後継者争いが始まることによって、雲ゆきがあやしくなった。この争いが応仁の乱の引き金になったことは、周知のとおりである。

 つまり、早雲は、応仁の乱が始まる直前から、そのまっただ中にいたわけである

 応仁元年(1467年)正月、応仁の乱が勃発(ぼっぱつ)した。義視は東軍細川勝元に擁立される形であったが、一時期、身の置き所がなく、伊勢(三重県)に落ち行くということがあった。近侍である早雲も伊勢に下っている。

 ところが、翌二年、状況が好転して、義視が京に迎えられたとき、早雲は京には戻らず、そのまま伊勢に留まったのである。要するに浪人の身になってしまったわけで、早雲素浪人説との接点がみられる。では、その後、早雲はどうしたのであろうか。何と、駿河(静岡県)ヘ下っているのである。前年、応仁の乱が始まったとき、駿河守護今川義忠が兵を率いて上洛(じょうらく)し、東軍に加わり、滞陣中、早雲の妹北川殿を見初めて結婚していた。

 北川殿が、兄早雲の浪人を知って駿河に呼んだのか、あるいは、「駿河にきて夫義忠の補佐をしてほしい」という要請があったので、義視について京にもどらなかったのか、早雲が駿河に下ったのは、そのいずれかであろう。

 駿河に下った早雲は、しばらくの間、目立った活躍をしていない。皮肉なことに、妹の夫である今川義忠の不慮の死によって、にわかに早雲の出番がまわってきたのである。

 文明八年(1476年)四月、遠江(静岡県)に攻め込んでいった義忠が戦死してしまった。義忠と北川殿との間に生まれた龍王丸(たつおうまる)はまだ六歳と幼く、今川家において家督争いが生まれてしまったのである。

 このとき、家督争いを収めたのが早雲であった。「龍王丸が成人するまで」という約束で家督代行の座についた小鹿(おしか)新五郎範満(のりみつ)がなかなか龍王丸に家督をもどさないので、長享元年(1487年)十一月、早雲は駿府今川館に小鹿新五郎範満を急襲し、龍王丸に家督をとりもどした。そして龍王丸は元服して氏親を名乗った。氏親は、戦功の第一の功労者であり、伯父でもある早雲に恩賞として興国寺城を与えた。これは早雲自身の希望だったかもしれない。早雲は今川領国の東の守りを任されたのである。

この文章について

『新・北條五代記』に関する文書情報を表示しています


【出 典】広報おだわら(連載記事)
【元形態】紙媒体
【著者名】小和田哲男(静岡大学教授:歴史学)
【著作権/編集著作権】小田原市 1995-1998

1.早雲出自の謎

平成7年4月15日号所収

2.応仁の乱と早雲

平成7年5月15日号所収

3.北條早雲の伊豆討入

平成7年6月15日号所収

4.小田原城奪取

平成7年7月15日号所収

5.二代氏網の北條改姓

平成7年8月15日号所収

6.三代氏康と合戦

平成7年9月15日号所収

7.氏康の領国経営

平成7年10月15日号所収

8.北條氏の外交戦略

平成7年11月15日号所収

9.四代氏政の時代

平成7年4月15日号所収

10.五代氏直の家督相続

平成8年1月15日号所収

11.小田原合戦

平成8年2月15日号所収

12.北條五代が残したもの

平成8年3月15日号所収

【お読みください】

  1. 本文に記されている内容は、平成7年度執筆当時のものです。
  2. 表記は、西暦のみを全角漢数字から半角英数字に置き換えました。また、HTML文書の改行幅が狭いことを考慮し、段落ごとに1行の改行を挿入していますが、原文は縦書きのベタ打ちです。
    また、平成9年度の時点では、小田原市は「北条」という表記を用いており、タイトルは「北条五代記」となっていますが、オリジナルは「北條」となっています。本文の表記については、原文のまま「北條」となっています。
  3. この「新・北條五代記」は小田原市の著作物であり、情報の全体もしくは部分を、複製したり加工したりすることはできません。同様の情報をホームページで公開しているものについては、リンクを認めています。原則としてリンクした場合は電子メールでkoho@city.odawara.kanagawa.jpに、もしくは広報広聴課(電話 0465-33-1263)へ連絡をお願いします。

ページトップ