小田原合戦

小田原合戦

史跡石垣山一夜城歴史公園

史跡石垣山一夜城歴史公園

豊臣秀吉は、天正十二年(1585)に関白に任官し、翌年、四国征伐、翌々十五年には九州征伐を行って、西国をほぼ平定した。残りは関東・東北である。

 そこで同年暮れ、秀吉は、「関東・奥両国惣無事令(そうぶじれい)」という命令を出している。これは、関白としての立場から、関東と奥両国(陸奥(むつ)国・出羽(でわ)国)における大名同士の戦いを停止させたものである。つまり、「以後、大名同士の領土の取り合いなどがあれば、関白として征伐する」というわけである。

 そして、翌十六年(1588)四月、秀吉は後陽成天皇を自分の城である聚楽第(じゅらくてい)に招き、全国の諸大名にも列席を命じた。このとき、上洛したかしないかが、秀吉に臣従するかしないかの踏み絵となったのである。この聚楽第行幸に、氏政・氏直父子は列席しなかった。ここで、秀吉の次のターゲットが後北条氏に絞られたのである。

 そうこうするうちに、秀吉に小田原征伐の口実を与える事件が勃発した。天正十七年(1589)十月、上野国(群馬県)の沼田城代をつとめていた猪俣範直(いのまたのりなお)が、近くの名胡桃(くるみ)城を奪ってしまったのである。秀吉は、これをさきに出した「関東・奥両国惣無事令」違反としてとらえ、ついに十一月二十四日付で宣戦布告状をしたためている。

 後北条氏側では、早くからこの日の来ることを想定し、小田原城やその他支城の修築などを行っていた。小田原城の、城と城下町を全部包みこんだ惣構(そうがまえ)、すなわち、大外郭ができたのもこのころである。また、武器、兵糧、弾薬などの準備も進められ、文字通りの臨戦態勢に入った。

 氏政・氏直は村々の郷村の成人男子にも武装を命じ、後北条氏領国すべてでおよそ五万六千ほどの兵が動員された。この数字は、一戦国大名の動員数としては実に驚異的であった。しかし、秀吉の動員兵力はそれをはるかに上まわり、二十一万ないし二十二万といわれる大軍だった。

 しかも、量だけでなく、兵の質も違っていた。後北条軍は、農民が主力だったのに、秀吉の方は、すでに兵農分離が済み、専業武士が主力だったのである。この大軍を前にして、氏政・氏直は小田原城に籠城する戦法をとることになった。氏政が、かつて、上杉謙信及び武田信玄の大軍を、小田原城に籠城して勝った経験を持っていたからである。

 秀吉は、小田原全体を見下ろせる笠懸(かさがけ)山に対(たい)の城(しろ)として一つの城を築かせ、そこを本陣とした。これがいわゆる石垣山一夜城である。

 小田原城包囲の戦いは天正十八年(1590)四月三日から始まり、結局、七月五日、氏直は開城して降伏した。戦国大名後北条氏の滅亡ということになる。秀吉は、氏政・氏照兄弟、それに老臣大道寺政繁、松田憲秀に切腹を命じ、氏直は高野山に追放された。

この文章について

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【出 典】広報おだわら(連載記事)
【元形態】紙媒体
【著者名】小和田哲男(静岡大学教授:歴史学)
【著作権/編集著作権】小田原市 1995-1998

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2.応仁の乱と早雲

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3.北條早雲の伊豆討入

平成7年6月15日号所収

4.小田原城奪取

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5.二代氏網の北條改姓

平成7年8月15日号所収

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平成7年9月15日号所収

7.氏康の領国経営

平成7年10月15日号所収

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平成7年11月15日号所収

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平成7年4月15日号所収

10.五代氏直の家督相続

平成8年1月15日号所収

11.小田原合戦

平成8年2月15日号所収

12.北條五代が残したもの

平成8年3月15日号所収

【お読みください】

  1. 本文に記されている内容は、平成7年度執筆当時のものです。
  2. 表記は、西暦のみを全角漢数字から半角英数字に置き換えました。また、HTML文書の改行幅が狭いことを考慮し、段落ごとに1行の改行を挿入していますが、原文は縦書きのベタ打ちです。
    また、平成9年度の時点では、小田原市は「北条」という表記を用いており、タイトルは「北条五代記」となっていますが、オリジナルは「北條」となっています。本文の表記については、原文のまま「北條」となっています。
  3. この「新・北條五代記」は小田原市の著作物であり、情報の全体もしくは部分を、複製したり加工したりすることはできません。同様の情報をホームページで公開しているものについては、リンクを認めています。原則としてリンクした場合は電子メールでkoho@city.odawara.kanagawa.jpに、もしくは広報広聴課(電話 0465-33-1263)へ連絡をお願いします。

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