
「芸術」といっても、いまでは「アート」というカタカナ語が幅を利かせて芸術というとなんか古臭い感じがする世の中になったようだ。とりあえず「アート」という言葉を借りるとして、あること(もの)が「アート」であるかどうかの境目がなくなってきた。どう感じるかは受け手の自由でもあるが、送り手が「結界」を創り、これは「アート」であると宣言することが多い。美術館の閾を跨げば、とにかく中にあるものは「アート」であるという前提ができるが、壁に張ったり、板に乗せたり、蓋を被せたり、題名をつけたりすると、あらゆるものが「アート」になる。いったん「アート」になると、日常を離れて独り歩きする。