登録有形文化財・松永記念館 老欅荘(旧松永安左ヱ門別邸)
(まつながきねんかん ろうきょそう きゅうまつながやすざえもんべってい)
概説
板橋の丘陵地は、箱根山や伊豆半島を遠くに望む風光明媚な地で、明治時代中期以降、政界・財界の多くの名士が別荘を営んだ場所です。
老欅荘は、電気事業で成功する傍ら、茶人としても活躍した松永安左ヱ門(耳庵)(1875~1971)晩年の邸宅です。昭和21年(1946)から造営を開始した建物で、同年12月に老欅荘に移り、昭和46年(1971)に亡くなるまでここで過ごしました。松永翁は、老欅荘での茶会に茶人、政治家、学者、建築家、画家など、当時の著名人を多く招いています。
普請は、所沢の柳瀬より松永翁とともに板橋に移り住んだ大工棟梁古谷善造と孝太郎の父子によるものとされます。約8年の歳月をかけて増改築した建物で、内部は、和室三室よりなる簡素な造りですが、東南の庭に面する広間に設けた付書院のある三畳大の床間と、主屋の東北に取りつく玄関及び三畳の寄付茶室の意匠に特徴があります。昭和28年(1953)に主屋の西南に増築した四畳半台目の茶室は、付書院を設けた耳庵好みの数寄屋であり、床間と台目構え及び書院床をもつ内部の意匠が優れています。
松永記念館は、松永翁が収集した古美術品を公開するため建築した施設で、翁の没後、松永記念館本館と敷地が小田原市に寄贈され、昭和55年(1980)から小田原市郷土文化館分館として公開されています。なお老欅荘は、平成11年に市の所有となり、平成12年に老朽化のため半解体修理を行いました。
老欅荘は、電気事業で成功する傍ら、茶人としても活躍した松永安左ヱ門(耳庵)(1875~1971)晩年の邸宅です。昭和21年(1946)から造営を開始した建物で、同年12月に老欅荘に移り、昭和46年(1971)に亡くなるまでここで過ごしました。松永翁は、老欅荘での茶会に茶人、政治家、学者、建築家、画家など、当時の著名人を多く招いています。
普請は、所沢の柳瀬より松永翁とともに板橋に移り住んだ大工棟梁古谷善造と孝太郎の父子によるものとされます。約8年の歳月をかけて増改築した建物で、内部は、和室三室よりなる簡素な造りですが、東南の庭に面する広間に設けた付書院のある三畳大の床間と、主屋の東北に取りつく玄関及び三畳の寄付茶室の意匠に特徴があります。昭和28年(1953)に主屋の西南に増築した四畳半台目の茶室は、付書院を設けた耳庵好みの数寄屋であり、床間と台目構え及び書院床をもつ内部の意匠が優れています。
松永記念館は、松永翁が収集した古美術品を公開するため建築した施設で、翁の没後、松永記念館本館と敷地が小田原市に寄贈され、昭和55年(1980)から小田原市郷土文化館分館として公開されています。なお老欅荘は、平成11年に市の所有となり、平成12年に老朽化のため半解体修理を行いました。
アクセス
鉄道 | 箱根登山線箱根板橋駅から徒歩10分 |
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バス | 小田原駅東口から 箱根登山バスH・T・TP線 伊豆箱根バスℤ・J・U・P線 「上板橋」下車徒歩6分 または「箱根板橋駅」下車徒歩10分 小田原宿観光回遊バス「うめまる号」(年末年始を除く土・日・祝日運行) 「箱根板橋駅」下車徒歩10分 |
地図
関連情報リンク
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課 文化財係
電話番号:0465-33-1717