最終更新日:2024年03月01日
「うたの生まれるまち 小田原」
海と山の豊かな自然に恵まれ、歴史と文化がまちに息づく小田原。
日常から離れて小さな発見や気付きのある旅。
旅のなかで心に留めるもの、心に浮かぶもの。
結晶のような旅の瞬間を携えていくひとつの物語をお届けします。
歌人が実際に小田原に訪れて書き下ろした「短歌」を添えて。
歌人:服部 真里子
location : だるま料理店
食べ物を景色のように嵌めてゆく静かな窓をわたしと呼んだ
窓の向こうには松があり、松とテーブルを挟んで向きあう形で食事をしました。
風のない夕方で、私が口を動かす間も、松はガラスの向こうで微動だにしません。
食事が進むにつれ、松と私の内部で何かがゆっくりと変質していき、ついには窓を一枚へだてて完全に等価なものになったような感覚がありました。
松にとって人間は、ほんのいっとき窓に嵌まっては流れてゆく、景色のようなものなのかもしれない。
私にとっての食べ物のように。
location : 小田原さかなセンター
夢は肉で見るものくるしく夢見ては虹色にしずくして貝肉は
焼き網の上に貝柱を載せていると、表面に透きとおった汁がうっすらと浮かびあがってきます。
黙ってこちらの話を聞いていた人の目に、やがて涙がにじんでくる様子にも似ていました。
蜃気楼は貝の見る夢といいます。
夢はかたちを持たず、さわれもしないけれど、まぎれもなく肉体で見るものだなあと思うと不思議な感じがします。
この小さな肉片が、海上に幻の建造物を生み出すときの、莫大な負荷を思いました。
location : だるま料理店
天気雨 眠ろうわたしと天国の間に薄い紙をはさんで
明治二十六年創業のこのお店には、代々冠婚葬祭はここでというお客さんもいらっしゃるそうです。
この間の結婚式のとき、あそこで泣いていたおばあちゃんの、今日はお葬式か……といったこともあるかもしれません。
そんなとき、障子紙のあかるさに包まれたこの部屋が、今はもういない人を近しいものにしてくれると思うのです。
天国は遠い空の彼方ではなく、私たちのすぐそば、薄い紙を一枚はさんだ向こうにある。
そう感じさせるお店でした。
火にかけるいいえ橋ではなくて鎌ひかりを力ずくで歪めて(- 小田原さかなセンター)
まぐろのカマを、半分は刺身で、半分は焼いて食べました。
刺身には、舌のもっとも原始的な部分に訴えてくる脂の旨みがあって、脂とは生きる力そのものなのだなと実感させられます。
カマは「鎌」、まぐろの頭と体の間の部位にあたります。
命を絶つとき切る場所に、切る道具を貼りつけたまま、一生を過ごすんですね。
食べることは、生きている肉体と、死んでいる食べ物のあいだに、力ずくで橋をかけることだなと思って作りました。
さらしあん煮れば心に積まれゆく同じ目方の砂金の袋 (- ⼩⽥原あんこ)
小田原あんこには、なにか豪奢な感じがあります。
成立の歴史に、途方もない財を成した経済界の大御所たちとのかかわりがあることや、甘味というものの持つある種の中毒性が、富と似ているからかもしれません。
ここでしか聞けない制作への思い、作品のビハインドストーリーや25分のショートフィルムVer.も公開中
電話番号:0465-33-1521