酒匂川の渡し

酒匂川の渡し

さかわがわのわたし

江戸時代、小田原を流れる酒匂川には橋がなかった。旅人は渡し場から川越し人足によって川を渡らなければならなかった。雨が降り続き、水深が胸あたりになると、川留めとなった。川留めは、旅を急ぐ人々にとって大変な難儀であった。東海道を上方へ向かう旅人は、酒匂川が川留めとなると、付近の農家を借りたり、野宿して川明けを待ちわびた。
(岩崎宗純)

酒匂川の渡しに関しては10点の浮世絵作品をご覧いただけます。

東海道五十三次・小田原・酒匂川(保永堂)大錦横絵(初摺)

大錦横絵(初摺)

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UK04-001-044
歌川広重

東海道五十三次・小田原・酒匂川(保永堂)
大錦横絵(初摺)
天保前期(1830〜36)

大錦横絵(初摺)左上の部分
大錦横絵(初摺) 中央部分
大錦横絵(初摺)右上の部分
大錦横絵(初摺)右上の部分

東海道五十三次・小田原・酒匂川(保永堂)大錦横絵(後摺)

保永堂は爆発的な人気を得て版を重ねた。そのため改版が行われ、数多くの後摺が残されている。

大錦横絵(後摺)

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UK04-002-045
歌川広重

東海道五十三次・小田原・酒匂川(保永堂)
大錦横絵(後摺)

大錦横絵(後摺) 中央の部分

初摺と後摺では画面に登場する人物の数が異なる。面白いことに、後摺の方が人数は多く描かれ、右下には蓮台も描かれている。

大錦横絵(初摺) 中央の部分
大錦横絵(後摺) 左上の部分

初摺(右)と比較すると、印の種類や画面の色調がまったく異なるのがわかる。一般に流布して有名なのは、右の初摺である。

大錦横絵(初摺)左上の部分
大錦横絵(後摺) 右上の部分

小田原から見える箱根の山々の形も、初摺と後摺ではまるで異なる。城(おそらく小田原城)の3つの櫓を目印に、上の絵も下の絵もほぼ同じ場所なのだが、まるで山容が異なっている。

大錦横絵(初摺)右上の部分

五十三次・小田原・酒匂川(隷書東海道)

大錦横絵

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UK04-003-046
歌川広重046
五十三次・小田原・酒匂川(隷書東海道)
大錦横絵
弘化4年〜嘉永5年(1847〜52)

大錦横絵 左の部分

今でも酒匂川の土手には、同じような枝ぶりの松並木を見ることができる。

大錦横絵の中央(部分)

蓮台は使わない時には図のようにたてかけておいたらしいことがわかる

大錦横絵の中央(部分)

普段はこのように橋がないが、冬の水が冷たい時期や、朝鮮からの海外使節等が通過する時には、臨時に橋が架けられたこともある。

大錦横絵の右(部分)

作者歌川広重の落款。酒匂川を描いた広重の作品は多い。城下町としての小田原よりも、小田原の手前にある酒匂の渡しの不便さが、小田原というと酒匂川を連想させるほどの強い連想作用を持っていたようだ。

東海道五十三次之内・小田原酒匂川かち渡し

大錦三枚続横絵(拡大)

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UK04-004-047
歌川広重
東海道五十三次之内・小田原酒匂川かち渡し
(行書東海道)
大錦横絵 天保後期(1837〜43)

大錦三枚続横絵 左側(部分)

蓮台は使わない時には図のようにたてかけておいたらしいことがこの図からもわかる。

 
 
大錦横絵の右側(部分)
大錦横絵の左側 (部分)
大錦横絵の右側 (部分)
 

東海道五十三次図会・小田原旅中衣更

大錦三枚続横絵

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UK04-005-049
歌川広重
東海道五十三次図会・小田原旅中衣更」
(美人東海道)
大錦竪絵 弘化4年〜嘉永5年(1847〜52)

大錦三枚続横絵 衣装の模様

衣装の模様の繊細な摺りに注目

作者歌川広重の落款等

作者歌川広重の落款等

大錦三枚続横絵 拡大
 
 
 

五十三次・小田原 酒匂川かち渡し

中判竪絵

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UK04-006-050-51
歌川広重
五十三次・小田原 酒匂川かち渡
(人物東海道)
中判竪絵 嘉永5年(1852)

中判竪絵の中央(部分拡大)
中判竪絵 左上(部分)
中判竪絵の中央(部分)
 

下段は後摺


中判竪絵後摺の中央(部分拡大)
中判竪絵後摺 左上(部分)
中判竪絵後摺の中央(部分)
テキスト

後摺の全体図

双筆五十三次・小田原・酒匂川・歩行渡箱根山遠望

大錦三枚続横絵

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UK04-007-052
歌川広重
双筆五十三次・小田原・酒匂川・歩行渡箱根山遠望
大錦竪絵 安政元年(1854)

双筆(そうひつ)とは、二人の浮世絵師が一つの作品を競作したものをいう。この作品の場合、酒匂の渡し場を描いた上半分が歌川広重の作品、下半分は歌川豊国(三代)の作品となっている。

大錦三枚続横絵左側(部分)
大錦三枚続横絵右側(部分)
大錦三枚続横絵右側(部分)
大錦三枚続横絵左側(部分)

五十三次之内小田原・酒匂川

中判横絵

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UK04-008-053
五十三次之内小田原・酒匂川
中判横絵 嘉永年間(1848〜53)
中判横絵の左側(部分)
中判横絵の中央(部分)
中判横絵の左側(部分)
 

東海道・小田原 酒匂川の渡し

中判竪絵

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UK04-009-054
二代広重
東海道・小田原 酒匂川の渡し
中判竪絵 慶応3年(1867)

大錦横絵の左側(部分)
大錦横絵の中央(部分)
大錦横絵の右側(部分)
 

大々叶大繁盛酒匂川

大錦三枚続横絵

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UK04-010-055
歌川国貞
大々叶大繁盛酒匂川
大錦三枚続横絵 文政年間(1818〜29)

三枚続(つづき)のうち左側(部分)
三枚続(つづき)のうち中央(部分)
三枚続(つづき)のうち右側(部分)
 

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